行雲流水

 沖縄本島の北部国頭地方の基部に位置する名護市。市の玄関口許田から東江入口までの海岸線8キロメートルの沿道はその昔急な曲折が多く「名護の七曲がり」と呼ばれていた。実際の曲がりは47〜49もあったというから七は『多くの』の意の形容語か▼初めてバスで訪れた時は余りの多さに圧倒された。運転手はハンドルとブレーキの忙しい操作を余儀なくされバスは右に左にそしてまた右にと蛇行をくり返した。その度に乗客は前後左右に体を揺さぶられ車酔いの状態に陥ったりした▼運転手泣かせ乗客泣かせといわれた七曲がりが今日のようにゆるやかな曲がりに変化したのはさらに北の本部半島で昭和50年(1975年)から翌51年の183日間に催された沖縄海洋博覧会に際してだった▼道路は海に大きくせり出して造成した広大な埋立地にゆるやかな曲がりやほぼ直線状で伸びている。昔を知る地元の友は嘆いた。入り組み変化に富んだ七曲がりの海岸線は美しかった。今やその景観は見る影もなく回想の中に懐かしく生きているだけだと▼「母校愛」も同様だとつぶやいた。久しぶりに訪れる卒業生は今風に姿を変えた校舎の連なりに目を見張る。同時に思い出の縁(よすが)が皆無となってしまった学び舎はよそよそしく母校への思いはそがれると▼「ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず…世の中にある人とすみかとまたかくのごとし」(鴨長明『方丈記』)。移りゆく変化と心の中との落差は時としてわびしいものである。

(2004/09/24掲載)

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