行雲流水

 水泳の時に緊張するという女の子に、祖母は言う「飛び込みの前に深呼吸をするといい」。「深呼吸をすると速くなるの」と女の子。「速くはならないが、泳ぐのが楽しくなる」と祖母▼映画『深呼吸の必要』の舞台は島。都会から男女の若者数名がさとうきび収穫のアルバイトにやってくる。それぞれが生活に疑問や悩みを抱えている。お互い同士も現実から逃避してきたのだろうと思っている▼島での生活が始まる。ここでは「話したくないことは、話さなくてもいい」と、おばあ。それぞれをありのままで受け入れることと、汗することのもたらす開放感が、彼らの心を次第に開き、通わせていく。ついには、困難を克服して、仕事を成し遂げる。島での体験が人生の深呼吸となって、彼らはたくましく人生に立ち向かって行くに違いない▼長田弘の散文詩集『深呼吸の必要』では、詩人の鋭い知性と感性で日常生活のなかで捉えた言葉が、読者を深呼吸へと誘う。「大きな木の下には、〜木の大きさと同じだけの沈黙がある」、「理由はない。君はただ海をみにきたのだ」▼「あのときかもしれない」の一連の詩は、子供が大人になったと気づく瞬間を色々な場面で表現している。自分にしかなれなかったと知ったとき、「なぜ」という言葉を口にしなくなっていたとき、不完全な人の姿を父親に見たとき、心が痛いと呟いたとき、歩くことの楽しさを失くしたときなど、君は大人になった▼昔子供だった大人にとっては、郷愁もまた、詩の言葉によって確かな深呼吸となる。

(2004/09/15掲載)

top.gif (811 バイト)