行雲流水

  明日は旧盆の初日「迎え日」である。その昔迎え日の夕刻になると郊外地の幹線道路には線香を手にした男たちが一条の列をつくっていた。家路を急ぐ男たちは墓前でともした線香の火をよすがに先祖の御霊をわが家へと導く一家の代表たちである▼家々では先祖を明るく迎えるため門前でトゥビャス(松の木のやにの多い根の切れ端)を焚いた。トゥビャスの明かりは強弱を織りなして闇の沿道に揺らぎ先祖供養に似つかわしい雰囲気をかもしだしていた▼盆の 3日間は望んでもめったにありつけない果物類が霊前に供えられ物不足時代の子供たちは胸を躍らせながらしきりに仏壇に向かい合掌していた。中でもバナナには目がなく日に何度となく指先で熟度を確かめたりして一喜一憂した▼来る 30日は「送り日」である。作法は今も同様だが送り日の夜の各戸の門前には仏壇に供えられた果物やご馳走の一部が線香の明かりのもと並べられ家族総出で先祖を見送る▼夜遅くなると地域の子供たちは群れをなして通りに集い線香の明かりを手がかりに各戸をめぐって門前の果物を頂戴する。親や地域は旧盆における子供固有の慣習行事としてやさしく認知し温かく見守っていた▼今はどうだろう。大量生産の物量豊かな環境下にあって子供たちは心身ともに絶え間なき飽食状態におかれており貴重なはずの食を目にしても顔色一つ変えないと指摘されている。経済的利潤のみを優先し他を欺いても自省しない今日社会の歪みがダブってくる。

(2004/08/27掲載)

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