行雲流水

 孔子いはく「我が道は一以(もっ)て之を貫く」と。弟子の曾子(そうし)は「その通りですね」と答えた。孔子が退いた後若い弟子たちにやりとりの意味を聞かれた曾子は「先生の道は忠恕(ちゅうじょ)で貫かれているのです」と教えた▼『恕(じょ)』とは人間として不可欠な思いやりの心である。心と如しの 2文字の組み合わせの『恕』は相手の心をわが心の如くめぐらすことの意となり孔子は「己の欲せざる所人に施すこと勿(なか)れ」(『論語』衛霊公(えいれいこう)篇)と明言している▼人と人が互いに認め合い許し合う「恕の心」を育むのに最も重要なのは3歳から7歳までの人的環境だと言う。人的環境特に母親のあり方の変化にフェリス女学院大学理事長の小塩節(おしお たかし)氏は最近危機感を抱いていると次のように指摘する▼今の日本の食卓には言葉がない。子どもがテレビを観ながら「ママ牛乳」と言うと母親は言いなりになって持ってくる。子どもは黙ってもらう。私の知る限り諸外国ではこんなことはあり得ません▼持ってきてもらって「ありがとう」と言わなければバシッと手を叩かれ取り上げられます。アメリカでもドイツでもフランスでも皆そうです。感謝する心が薄れごちそうさまでしたの言葉もなく父親も母親も子どもも別々の時間を過ごしている▼「子どもは遊びの中で強くぶつかる。痛いと言う。ごめんねと謝る。いいよと許す。恕という言葉には思いやりの他に許すという意味もあります。存在を認め合い言葉でかかわり合うこの経験が幼児期には必要なのです」と。

(2004/08/13掲載)

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