行雲流水

 「イチャリバチョーデー」(出会えば兄弟)と「反戦平和」は歴史的風土が生んだ沖縄の心である。前者は友好的、文化的であるのに対し、後者は体制に対して闘争的で、かつて基地労働者が基地反対を唱えるなど、そうした「矛盾のバランス」が沖縄の構図のように思える▼明日は5・15本土復帰の日である。岡本太郎の「沖縄文化論」に本土復帰の年に書き足した短文がある。その中に「沖縄が本土に復帰するなんて、考えるな。本土が沖縄に復帰するのだ、と思うべきである。そのような人間的プライド、文化的自負をもってほしい」とある▼32年前の当時、このような事が言えたことに驚きを感じるとともに、卓越した芸術家の眼力の確かさ、洞察力に敬服する▼近年確かに本土の沖縄化が進んでいる感がある。島を取り巻く環境への関心、芸能文化の高揚、何よりもNHKドラマ「ちゅらさん」のヒットに象徴されよう▼ただ一方の「反戦平和の心」は常に挫折感がただよう。薩摩の琉球支配や太平洋戦争の焦土化が生んだ平和への願いだが、戦後の対日講和条約による本土との行政分離、いわゆる琉球の米国統治は民意に反し基地の強化となり、また本土復帰に当たって、基地の密度など「本土なみ返還」の要求は未だに果たせず、琉球処分的体制が続く▼「命ど宝」の反戦平和の声は特に現今の世相では、かき消されるかのようだ。皮肉にも「平和の礎」と「軍事基地」の背中合わせが沖縄の現実なのである。

(2004/05/14掲載)

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