行雲流水

 色とりどりの花が咲き誇っている。高校入試も終わり、合格した者は高校生活への期待に胸膨らませていることだろう▼高等学校は、中学教育の成果を踏まえて、人間や社会、自然についてより深く学ぶことによって、豊かに大きく成長するところである。ヒトは生きる内容として文化を持つ故に、学ぶことは生存権の文化的な側面と考えられている。いわゆる「教育権」の考え方である。惰性に流されることなく、生きる権利として、自主・自律的に、積極的に学習に取り組むことが生徒には求められる▼先日、友人が、在京の同期生の集いの様子を伝えてきた「それぞれが異なった人生経験を経て高齢に至ってなお、半世紀前の多感な青春の懐旧談を語れるのも同期生ならではのこと」。高校時代は人間的諸能力が飛躍的に発達するときであり、自己に目覚めるときである。だからこそ、そこで結ばれた友情はかけがえのないものとなる▼このような生徒たちの人間的能力の伸張を保障するのが学校であり、教師の仕事である。教師は教科の指導と人間の発達についての専門家である。困難なことは多いが、喜びも大きい。教師集団は教育の当事者としての責務を負っている▼現場の教師からは、努力して成果を挙げている生徒を称える一方で、「もったいない。大きな可能性を持っているのに」とか、「生活のリズムが乱れていて、授業に集中できていない」という声も聞こえてくる。家庭では、この声を真剣に受け止めてほしい▼素敵な高校生活に備えて、確かな羽づくろいを!

(2004/03/24掲載)

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