行雲流水

 ジュルクニチー(宮古・ジュールクニツ)を「後生(グショー)の正月」と言うのは、沖縄本島や宮古、八重山も同様だが、清明祭が盛んな那覇や中部では、1年以内のミーサ(新仏)の家のみが行うようである。事情により、ミーサの葬儀などに、参列できなかった方はこの機会に欠礼を繕うという▼読谷あたりでは死後2〜3年もミーサと称して墓参りをする。また、ミーサが現世と来世にかかっているアラバシ渡りの日であるという由来の地域もあるが、いずれも、祖霊供養の祭祀であることに変わりはない▼本島北部や宮古、八重山などジュルクニチーが盛んなところはミーサに関係なく、毎年墓参による供養を行う▼ところで宮古では、ジュールクニツをかつては「ヨース」(祝事)とも呼んだ。旧盆の祖霊供養とは趣が違い、一門の合同祝日のような意味合いもあるようだ▼かつて本島には旧正月の塩漬け豚を食べ終え、漬けたかめを洗う「カーミアレー正月」「二十日正月(ハチカソーグチ)」というのがあった。宮古のジュールクニツはどうやら「二十日正月」などの後(アトゥ)正月の「ヨース」の意味を強く含んだミックス文化として発展してきたように思う。祖霊供養の祭祀と祝事の折衷は庶民が生み出した工夫の所産なのであろう▼食の豊かさが、ご馳走への関心をうすめ、また最近は核家族化(墓自体も)が進み、集落や一門の絆が強い地域は別として、墓参後、浜辺や野原に移動してピクニック気分を楽しむ雰囲気もうすれつつあるようだ。

(2004/02/08掲載)

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