行雲流水

 毎日、朝6時、市役所屋上のスピーカーから「野ばら」の曲が流れて1日が始まる。正確な情報で、効率的に市街地に広がっていく。以前はおん鶏のコケコッコーのコーラスが遠く、近く聞こえて、次第に夜が明けていったものである。時代の変化を象徴的に表す2つの現象である▼めん鶏が隔離され、せっせと無精卵を産むようになって、わずかに残ったおん鶏たちは、鶏冠(とさか)のりりしさを競い合うことも、鬨(とき)の声を挙げて自己を主張することもままならなくなった▼めん鶏たちは動きもろくにできない個室に入れられて激しい勢いで餌をついばんでいる。そして、その対価としての卵を産む。夜も明るい照明の下にさらされる。「寝る時ではなく、卵を産む時間だよ」と錯覚させるという説と、睡眠不足で体が弱るので生物の子孫を残す本能で卵を多く産むようになる、という説がある▼生産の効率は、与えた餌の重量に対する卵の重量比ではかられる。これでは工場における製品製造に限りなく近い。めん鶏は卵を産む機械である。効率が落ちると、「廃鶏(はいけい)」という名で処分される▼こんな女(めん鶏)に誰れがした。「弱り目にたたり目」、その上、今度は鳥インフルエンザである。運動不足である。野原で薬草をついばむことがないので自然治癒力も衰えている。小さい空間にひしめいている。これでは感染が広がるのも無理はない▼グローバリゼーションという小屋に住んでいるヒトも似ていないでもない。その証拠にエイズやサーズに怯えている。

(2004/02/04掲載)

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