行雲流水

  「国立劇場おきなわ」の誕生を機に沖縄の芸能について調べてみた。言えることは、沖縄の芸能が大和(ヤマト)や中国、アジア諸地域の影響を受けながら独自の発展を遂げてきたということである▼短詩には短歌や俳句などがあるが、沖縄には独自の8・8・8・6の琉歌がある。各地には国造りの伝説等があるが、狩俣には部落創世をうたう祖神ニーリがある。外間守善氏をして、日本最大の叙事詩と言わしめるものである。万葉の歌垣は男女が互いに歌をかけあうことであるが、沖縄でも「野遊び(もうあしび)」があって恋の心を交しあった。「歌掛」である▼沖縄の音楽には独自の「沖縄音階」がある。それを生みだした基底にあるものが色々のジャンルの沖縄の音楽を魅力あるものにしているのではないか▼古典舞踊の名人・真境名佳子はかって「琉舞の美」は抑制の美しさである、と語っている(天声人語)。軽薄化する世の中で、華麗な琉舞の魅力はますます人を引きつけていくに違いない▼組踊は音楽・舞踊・台詞を総合した楽劇である。玉城朝薫が創作、1719年の尚敬王冊封式典で初めて上演された。能や狂言等の影響を受けているが、沖縄土着の芸能が基底にあって、様式化され洗練された。多良間の八月踊りでは「忠臣仲宗根豊見親組」が上演される▼沖縄の文化・芸能は複合文化であり、王朝文化で華ひらいた。一方で、柳宗悦が指摘するように、島の人々の悦びも悲しみも憧れもこめられていて、幾多の試練に耐えて人の心を支えてきた。沖縄芸能のさらなる振興の到来である。

(2004/01/28掲載)

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