行雲流水

 県教育委員会の調査によると、県内の高校生の8割が携帯電話を所持していて、圧倒的多数がその必要性を認めている。また、「授業中に携帯電話などを利用している生徒がいる」と答えた生徒は約7割で、2割の生徒は、授業中の使用が授業の妨げになると感じている▼学校現場では、授業妨害は言うまでもなく、携帯電話がからんだ事件が多発していることや、通話料の捻出に係わる問題が気になるところであろう。「たむろしている友達それぞれが携帯でそこにはいない他人と通話している」、「今別れてきたばかりの友達にかけている」など、生徒の行動に戸惑う声も聞こえてくる▼高名なサル学者の正高信男に言わせると彼らは「ケータイを持ったサルである」。ニホンザルは身近にいる仲間と音声を交わすよりも、遠くにいる仲間たちと声を出し応答し合うことで、多くの仲間と一体であるという安心感を得るという。携帯で誰かとつながっていないと不安を感ずる若者たちも感覚は同じだというわけである▼彼らは仲間の所在を確認するだけですむから、言葉にメッセージ性が失われ、使う言葉が仲間内の私的なものになり、公的言語としての機能が希薄になる。したがって言葉も乱れる▼子供中心の社会が、青少年を私的なものに閉じ込めていると正高氏は考える。そこに、ケータイが入ってきた。正高氏の著書名は『ケータイを持ったサル』でサブタイトルは「人間らしさの崩壊」である。そんな厳しい見方も心の片隅にとどめておきたい▼ケータイもまた「諸刃の剣」である。

(2004/01/21掲載)

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