行雲流水

  ある集いで、次のようなことが話題になった。「買物をして領収書を請求したら、書けない様子、氏名の漢字を一字一字説明したら、ますます混乱していた」。店によっては、書けるのがいて、その人に他の店員は書いてもらっている、という発言もあった▼レジでは、バーコードに読み取り器を触れるだけで計算を終了、明るくてきぱきと仕事をしている。しかし、掛け算「九九」が身についていない若者も結構いるというし、他の日常生活では大丈夫だろうか、という声もあった▼これらの話は極端な事例だといいのだが。実は、『学力があぶない』(岩波新書)の著者は、五千円札をだしたときに電卓を使わないとお釣りが計算できない大人を生み出しかねない今の教育を憂えている▼外国人は、日本人の計算(暗算)の強さに驚くという。その基礎には掛算「九九」がある。すでに、万葉の時代、万葉仮名では八十一と書いてくく(九九)と読ませたり、十六と表記して(しし、猪鹿、四四)と読ませたりしている。数字の戯れだとしても、その重要さが認知されていたとみていい▼小学校から始まる漢字や伝統的に強い計算の基礎と、その後の学習による確かな学力を、子供たちにはきちんと身につけさせたいものである▼しかし今、学力の低下が心配されている。授業内容の削減に加えて、帰宅後の勉強時間は世界で最低レベルに転落している。ひたむきに生きることや学ぶことの意味が見失われてる。それは社会の反映でもある。大人の意識こそが厳しく問われている。

(2003/11/19掲載)

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