行雲流水

  少年期の記憶ではどの内会にも巨木や古木がうっそうと生い茂った御嶽(ウタキ)があった。そこは昼なお暗く盛夏でも樹下は天然のクーラーよろしく心地よい場所だった。それゆえ近隣の子供達は好んで集まった▼群れると集団としての人間関係が成り立つ。タテ型社会だった。集団はヤラビ(子供)の大将を頂点に年功序列式に成立した。遊具の作り方や使い方さらには木登りの時枝が体重にどれだけ耐えられるかその勘どころなど年長の者がいろいろと教授してくれた▼子供達は遊びの中で人生にとって欠くことのできない知恵の母体を伸び伸びと切磋琢磨しながら学びとっていた。ウタキには線香の煙の絶えない個所もありその周辺は聖域とされていて子供達はよくわきまえていた▼子供なりに人為の遠く及ばない偉大な力を畏敬の念でくみ取っていた。聖域を侵す不浄の行為が人間としていかに怠惰なものであるか理屈なしに体感していた。ウタキはそんな神秘に満ちたたたずまいを子供達に強烈に印象づけた▼ウタキは一つの事例にすぎない。敷衍すると往時の子供達を取り巻く生活環境には子供達の自主性や自律性を育ててくれるものが日常の遊びの中にもふんだんにあった。子供達は顧みて己を知ることができた▼今通りの空き地は車社会の要請で多くは営利目的の駐車場に変身しつつある。小公園らしきものがあっても夜になると酒盛りの溜まり場と化すという。物質的繁栄謳歌の陰で私たちは何かを失ってしまっている。

(2003/09/05 掲載)

top.gif (811 バイト)