行雲流水

 6月23日は「慰霊の日」。沖縄の各地では、沖縄で亡くなった戦没者のみ霊を慰めるとともに恒久平和の誓いを新たにする1日であった。この日に向けて、いろいろの団体が集会を持って平和を訴え、各学校では戦争の悲惨さと平和の尊さを語り伝えるための特設授業や講演会、展示会等が催された▼み霊を慰めるとは、単に戦没者の冥福を祈ることではない。戦没者の悲しみや怒り、無念さなどの声なき声を受け止め、平和を築いていく事であろう▼とは言っても、戦争が国益を追求する政治の手段とされてきた歴史と現状を考えると、ことはそう簡単ではない。しかし、求められることは、平和を構築できる論理と条件をねばり強く積み重ねていくことである▼しかし、特に米国の単独行動主義や先制攻撃論によって、状況は危険な方向につき進んでいる。不信や恐怖はあおられ、世界的に軍拡が進められている。戦争に巻き込まれて死んでいく他国民の絶望と悲しみに対する想像力の欠如には愕然とするばかりである。そして、わが国は、ある米国の学者に言わせると、家来のようについて行く▼1945年、ポツダム宣言を受諾して大戦は終ったが、宣言は述べる「〜責任ある政府が樹立せらるるに於いては連合国の占領軍は直に日本国より撤収せらるべし」。国際法上当然である。しかし、沖縄では、27年もの長期にわたって米軍の占領支配が続いた。そして現状である。不条理の原点をそこにみる▼今、平和を願う世界の人々が恐れるのは、世界の沖縄化である。

(2003/06/25 掲載)

top.gif (811 バイト)