行雲流水

  「物語」の中の鳥たちは、生きることの意味や人生の喜怒哀楽を語る。また、時の世相を反映する。70年代の『カモメのジョナサン』のジョナサンは、群れのカモメたちのように食いものを見つけ奪いあうだけの生活を軽侮、より高く、より速く、より美しく飛ぶための限界に挑戦、孤高に生きる▼多かれ少なかれ、青年の理想主義は、既成の権威をひとまず否定、自分なりの価値観を確立して行く。それが社会の進歩にもつながる。同時に、人々の普通の営みの意味の捉え方は常に問題となる▼2000年代の初頭、『リトルターン』の一羽のコアジサシは、ある日、鳥にとっては当たりまえの飛ぶということが出来なくなる。彼はうろたえ、旅にでる。旅では、見えなかったものが見えるようになる▼ある日の朝、紫色の花が開くのを見て、単調に見えるすべてのものの中に何か大切なものがあることに気づく。出会い友になったカニは言う「君は飛ぶ能力を失ったのではない。置き忘れたのだ」「羽や翼がどれほど価値があり、素晴らしいかを知らなければ本当に飛ぶことなんかできないのだ」。それを知った彼は大きな羽を広げて、ごく自然に飛び立っていた▼『つばめの歌』のおじいさんはジュアンに教える「つばめたちは、花と奇麗な水、そして喜んで迎えてくれる人のいる所へ行くことだけは確かだ」▼新成人たちは、不透明な厳しい社会に出ていく。しかし、本質を見失うことなく、誇りを持って、大きく羽ばたいてほしい。花ときれいな水、そして愛する人たちが見守っている。