【 記者の目 】 イラク戦争に思う (上)

罪のない人々の犠牲

沖縄にとってよそ事でない

ふに落ちないイラク戦争
 イラク戦争で首都バグダッドが9日陥落し、フセイン政権が事実上崩壊した。米英軍は開戦から21日目の短期間で勝利を収めたが、比較にならない圧倒的な軍事力からすれば当然の帰結とも言える。憂慮された誤爆や市民の犠牲は現実となり、罪のない人々が多く死傷し、なおも数10万の人々が生命の危機にある状況を見ると、この戦争は一体何だったのかとやりきれない思いに駆られる。
 宮古にいてもメディアを通じて最前線の戦いや空爆、死傷者などの画像が目に飛び込んできた。58年前の大戦時に住民を巻き込んだ地上戦を体験した沖縄の人々にとっては遠いよそ事ではなかった。沖縄師範学校生のとき徴兵され、沖縄戦を体験した平良市の平良友助さん(77)は「テレビで見るイラクの光景は沖縄戦のときを見るようだ。子供や女性など弱者が犠牲になっている。命が粗末にされている」と、胸を痛める日々が続いた。

罪のない人々の犠牲
 国家間の戦争は罪のない住民の多くを犠牲にする。核開発が進んだ今日、戦争は人類を滅亡させる可能性も持つ。国家の問題は力ではなく、どこまでも話し合いで平和的に解決する努力が不可欠だ。このイラク戦争は、国連安保理の多数の反対を無視し、圧倒的軍事力を持つ超大国の米国が、力を世界に誇示したような戦争に思えてならない。米英の大義は、虐げられた国民を解放するというが、現実にはその国民が多く血を流した。地上戦を体験した沖縄では「命どぅ宝(命こそ宝)」という教訓が一層痛感されたに違いない。犠牲はやむを得ないと人命を軽視するのは、個人の尊厳をないがしろにし、世界の人権思想が進む中で時代に逆行するものである。国家間の戦争は多くの犠牲、悲劇、憎しみを生むものであり、決して起こしてはならない。

北朝鮮との戦争を危ぐ
 日米同盟を優先する日本政府はこの戦争を支持し、沖縄の嘉手納飛行場からも米軍が戦線に送り込まれた。基地のある沖縄はテロの標的にされる危険性があるため、テロ警戒で機動隊を動員。修学旅行や観光客のキャンセルは相次ぎ、県経済への影響も出ている。沖縄に生きる私たちは日本国民、沖縄県民として、この戦争に無関係ではない。米国の先制攻撃戦略からすると次は北朝鮮との戦争も起こり得る。日本の隣国であり、戦火はわが身に迫る。県民の多くは戦争に反対し世界平和を強く訴えており、それは過去の生々しい体験からして至極当然のことだと思う。

                  (編集局・川満幸弘)  (掲載 2003/04/12)

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