宮古椿の会 


  を  花  は  用  き  余  昨  渡  た  し  つ  つ        油  
  搾  を  高  性  た  で  年  山  人  ま  ら  や  今     と  
  油  楽  ま  が   ゜ さ  十  正  た  せ  つ  つ   `    椿  
   ゜ し  る  確  日  ま  二  吉  ち  て  ら  や  野     葉  
  食  ん  ば  認  を  ざ  月  会  が  い  と  の  山    ┌┐ 
  用  だ  か  で  追  ま  に  長  い  る  顔  葉  は     ち  
  油  後  り  き  う  な  結   ` る   ゜ を  の  ヤ     ん  
  と   ` だ   ` ご  取  成  会   ゜ ツ  出  間  ブ     よ  
  し  実   ゜ 会  と  り  さ  員  宮  バ  し  か  ツ     う  
  て  か  観  員  に  組  れ  十  古  キ   ` ら  バ    └┘ 
  ま  ら  賞  の  ツ  み   ` 九  椿  に  見  真  キ     茶  
  た  つ  用  意  バ  を  ほ  人  の  魅  る  紅  の     が  
   ` ば  と  気  キ  行  ぼ └┘ 会  了  者  の  季     脚  
  頭  き  し  込  の  っ  一  は ┌┐ さ  を  花  節     光  
  髪  油  て  み  有  て  年  一  佐  れ  楽  が   ゜       
                                               

          ┌┐ キ  キ  林  脚  さ  あ  皮  キ  科  て  ・  
           佐  の  の  と  光  に  る  膚  の  学  利  美  
           渡  島  植  し  を   ` 物  炎  葉  技  用  容  
           山  に  栽  て  浴  花  質  な  か  術  で  液  
           政  し  を  も  び  も  を  ど  ら  振  き  と  
           子  た  奨  最  て  実  発  の   ┐ 興  る  し  
          └┘ い  励  適  い  も  見  ア  花  機   ゜ て  
              と  し  と  る  あ └   レ  粉  構  さ   ` 
              夢   ` し   ゜ る  し  ル  症  の  ら  高  
              を  近  て  会  ツ  た  ギ  や  関  に  級  
              膨  い  島  員  バ  と  |  ア  係   ` 機  
              ら  将  中  は  キ  発  に  ト  者  昨  械  
              ま  来  に   ` と  表  効  ピ  が  年  油  
              せ  ツ  ツ  防  し   ゜ 果  |  ツ  十  と  
              る  バ  バ  風  て  ま  の  性  バ  月  し  
               ゜                          `    

 


定期的に集まって、島中のツバキを観察する会員たち=城辺のジロー楽園

定期的に集まって、島中のツバキを観察する会員たち=城辺のジロー楽園
 

多くの効用が期待できるつばき油と椿葉茶
多くの効用が期待できるつばき油と椿葉茶

 ▽暴風とかんばつに強いツバキ

 同会が、結成後すぐに取り組んだのは「宮古島市の市花木選定でツバキを」という要請だった。
 佐渡山会長はツバキについて「古代から島に自生し繁茂していた」としてその歴史を紹介。現在、自衛隊基地のある野原岳は、昔からツバキの自生地として知られていた。ところが、戦時中の陣地構築、戦後の庭木・盆栽用の乱獲でほぼ全滅。また、城辺友利の仲原集落付近の通称チャーヤマ一帯はツバキの密集地で、戦前はシートーヤー(製糖小屋)の燃料にも使われるなど重宝されていた。
 島に自生する野生のツバキはヤブツバキと呼ばれ、何よりも風に強く、かんばつに強い木として先人たちは重用していた。台風常襲地帯で保水力が弱く肥料分の少ないサンゴ石灰岩の島に繁茂していたという歴史的事実に、畑の暴風垣として、また緑の少ない島の緑化推進に積極的に活用されるべきだとして、その重要性を訴えた。

 ▽全国で親しまれるツバキ

 全国に二千種類あるといわれるツバキ。日本椿協会では毎年二−三月に全国椿サミットを開催、三十年前から活動する沖縄椿協会も椿展や椿の森をつくる運動を展開している。
 伊豆大島は椿で一大観光地となった。全国的にみられるこうした動きはツバキが身近な木として親しまれ、古くから日本の文化と深くかかわってきたことが分かる。沖縄でも漆工芸や染織の紋様、古典舞踊の髪飾りにも使われている。ちなみに、全国の地方自治体でツバキを花木に指定している市町村は百三十二といわれる。
 事務局長の来間清典さんは、ツバキに魅せられた一人。十年前、宮古森林組合の常務理事となった来間さんは「花の宮古島づくり推進事業」で県の補助を受けツバキの植栽普及に取り組んだ。その実績が現在、袖山地域や上野豊原地区の道路景観木や街路樹となっている。
 こうした推進事業が年々実り、今では五万本以上を超えるツバキが島内で根付いている。来間さん自身も私有する圃場にほとんどツバキを植栽、その普及に努めている。また、会員の砂川次郎さんもツバキファンの一人。所有するジロー楽園にさまざまな種類のツバキを集め、最近では普及のために苗木を増やすことに努める。
 同会はこうしたツバキに魅せられた人たちが結集、ツバキ談義に花を咲かせる。昨年十月には、宮古島市誕生一周年を記念して市総合体育館前道路沿いに約二百本の苗木を植えた。
 また、今年一月には沖縄製糖にキビ農家の暴風垣としてツバキを活用してほしいと要請した。

 ▽ツバキの効用が明らかに

上野のリサイクルセンターも敷地全体をツバキが囲む
上野のリサイクルセンターも敷地全体をツバキが囲む

 これまで、街路樹、暴風垣、盆栽、庭木などで知られてきたツバキが、果実や葉にも新たな効用があることが分かってきた。花の終わった果実からは高級つばき油が搾油でき、食用や頭髪油として、また化粧品やアロマオイルとして幅広い用途があることもわかってきた。
 葉には抗アレルギー、抗炎症作用をもつ成分が発見されたとして昨年暮れトロピカルテクノセンター(うるま市)が国際特許を出願したことを発表した。中でも宮古島や本部町に自生するヤブツバキが良いとされ、新たな産業を生み出す可能性も出てきた。

 ▽センター周辺に2万本の生垣

 上野資源リサイクルセンターは、周辺に二万本のツバキを植栽、三年木のその成木は花をつけたものも多く、見事な景観をつくっている。低木には在来のハイビスカスをあしらい、将来、緑と赤のコントラストが楽しみだ。
 同センターの工事担当、西里正博さん(宮古島市経済部むらづくり課)は、ツバキを植栽したことに対し、「ツバキはこれからさまざまな活用が望める。換金で、センターの運営に少しでも役立てばと思い取り入れた」と話す。


ツバキを暴風垣に

キビ畑を囲むツバキ並木。南風原さんが20年かけて完成させた
キビ畑を囲むツバキ並木。南風原さんが20年かけて完成させた

サーズの南風原 栄さん
 

親木の前に立つ南風原さん。種から1本1本植えたツバキは20年かけて数万本に
親木の前に立つ南風原さん。種から1本1本植えたツバキは20年かけて数万本に
 平良東仲宗根添、通称サーズでサトウキビ農家の南風原栄さんは、二十年前からツバキを暴風垣として活用している。一万五千平方bのキビ畑を囲むようにびっしりと植えられたツバキは、ちょうど今ごろかれんな花をつけ見ごろだ。
 五十年近く農業を営む南風原さんは、ツバキを取り入れたことについて、「キビ収穫の日、大雨が降って畑に車も機械も入れなくなった時、息子が友人たちを大勢連れて来て人海戦術で乗り切った。その時、機械はあてにできないと分かり、畑周辺に通路を造り作業を効率よくしようと考え、その生垣にハイビスカスを植えた。それから庭にあったツバキから種を取り、並行して植えていった」と話し、ちょっとしたきっかけから、年を重ねツバキとハイビスカスの見事な通路ができた。今では、見学に来る人たちが後を絶たないという。
 何より、南風原さんを喜ばせているのは、生垣が暴風や北風を防ぎ、反収を上げているということだった。また、収穫前のキビをかじる野ネズミが、ツバキの実が好きでキビをかじらなくなったという。花を楽しみながら、キビの収益も上げていることで、ツバキを植えて正解だったと話した。
 


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