父親・健次さんの影響でボクシングを始めた知念君(写真上)。将来は亀田3兄弟のような有言実行型のボクサーになるのが夢という。ボクシングの練習は好きだが、走ることが嫌いという立津君(同中央)。しかし、練習後は実家までの約4`を走って帰る。体を鍛えようとボクシングを始めた兼浜君(同下)。自分の力がプロでどれだけ通用するか試してみたい気もあるという。
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「ビシッビシッ」。教室内にミットを打つかわいた音が響く。「ジャブ、ジャブ」「フックも出して」「ほらほら、けんかじゃないぞ」
宮古工業高校の二階にある教室内に、宮古唯一のボクシングのリングがある。土、日を除く毎日、将来のプロの卵たちが厳しい練習を行っている。
宮古では珍しいボクシング部。練習しているのは、鏡原中一年の知念大樹君と立津和登君、翔南高校一年の兼浜政志君の三人だ。
「三人ともまだまだ荒いが、技術ののみ込みは早い。将来が楽しみ」。コーチで宮古ボクシング愛好会の知念健次さんと松川勝幸さんは口をそろえる。
練習時間は、午後五時から六時三十分までの一時間半。短い気もするが、ボクシングの試合に見立てて三分間動いて、三十秒間休むという繰り返しをずっと続けることから、ほとんど動き放しの状態だ。
試合では一分間の休みがあるが、スタミナを付けるために練習ではわざと休憩時間を三十秒間少なくしているという。
「後二十秒、はい十秒」。時間帯を刻む「プログラムタイマー」を見ながら、二人のコーチの声が飛び交う。
三人はシャドーボクシングやスパーリング、腹筋、縄跳びなど決められたメニューに従って黙々と練習を続ける。
「苦しいけど、始めたからには続けたい」と話す知念君は、コーチの健次さんとは親子。父親の健次さんは、元プロボクサーでジュニアミドル級日本一位にランクされたこともある。
父親の影響でボクシングを始めた知念君の目標は「お父さんのようなプロボクサー」だという。
立津君は、ボクシング部員の募集ポスターを見て入部した。始めてまだ一カ月だが「サンドバッグを打ち込むのが好き。ボクシングは精神面も鍛えられる」と、すっかり魅力に取り付かれたようだ。
二人とも、二〇一〇年に沖縄県で開催される全国高校総体(インターハイ)の強化選手。三年後の本番向け、周囲の期待は高まるばかりだ。
来月には、高校ボクシング界の名門・沖縄水産で行われる合同練習にも参加する予定で、練習にさらに熱がこもる。
兼浜君は「ちょと違ったスポーツをしたかった。体と精神面を鍛えたかったので、ボクシングを選びました」
ボクシングを始めてから半年で、約十`やせたという。「体が引き締まった感じがする」と胸を張った。
教室内にあるリングは、宮古ボクシング愛好会(知念健次会長)の会員らがカンパ、手作りで設置。宮工高が練習場所を提供した。
サンドバッグやパンチングボールなどもあり、用具の種類はボクシングジムとひけを取らない充実ぶりだ。
愛好会は、宮古に住むボクシングを経験した人たちで構成。活動は派手ではないが、毎月一回の「模合」で、ボクシング談義に花を咲かせながら親睦を深めている。
手作りの設備は、「私たちが経験したボクシングの魅力を、宮古の子どもたちにも伝えたい」という愛好家たちの熱い思いの結実だ。
コーチの健次さんは「設備は充実している。後は、子どもたちのやる気次第。宮古から将来、プロボクサーが育ってほしいが、まずは三年後のインターハイへの代表権を獲得するのが最大の目標です」。言葉に力を込める。
指導者として再チャレンジ
宮古ボクシング愛好会会長 知念健次さん(44歳)
子どもたちのボクシングの指導に情熱を傾ける知念さん=宮古工業高校 |
中学生のころプロボクサーを目指し、平良中から沖縄水産高校へ進学。インターハイでヘビー級の全国一に輝いた。卒業後は、プロに転向。数々の世界チャンピオンを育てたエディ・タウンゼント氏の指導も受けた。プロ生活五年間で、ジュニアミドル級日本ランク一位にまで上り詰めた。しかし、体の故障で引退。その後、宮古に帰郷し現在はラーメン店の店主だ。
「ボクシングという競技は、常に冷静さを保ち相手のパンチをよけて的確なパンチを出すという技の応酬」と語る。相手には礼儀を持ち、試合後は互いの健闘をたたえるスポーツだと言い切る。
それにはまず、基本的なあいさつの励行が大事だという。
「技術を高めるのもよいが、社会性を身に付けさせることも指導の一環」と話す。
両親の反対を押し切ってボクシングを始めたが、二人の息子には「本人の意思にまかせた」という。
しかし、自分の父親がプロボクサーだったと知った時から、二人の息子も自然とボクシングを始めるようになった。
「ボクシングは個人競技。勝っても負けてもすべてが自分の責任」が持論だ。
減量には苦しんだ。一カ月で十六`減量したこともあるという。
「減量中は、水も飲めない。食べるのは小さな器に入ったサラダだけ。親せきが自分とは知らずに、話し掛けてきたこともあった」と振り返る。
試合後、リング上で「勝者知念」とコールされるのを夢見ながら練習に励む毎日。実際にコールされた時の感激は今でも昨日のことのように覚えているという。
「ボクシングに限らず、一生懸命やった後の充実感は素晴らしいものがある。今度は指導者として、それを味わいたい」。それが自分の使命だという気持ちは強い。
1962(昭和37)年10月24日生まれ。宮古島市平良出身。 |
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