緑いっぱいの宮古島に
宮古森林組合

きょう「みどりの日」/100年の計で森林拡大を

 

 きょう二十九日は「みどりの日」。宮古島では、地下水保全や観光業促進を目的に自然保護の重要性が指摘されて久しいが、二〇〇五年の森林率は一六・〇一%と五十年前の三〇%に比べ半減しており、住民一人ひとりの緑化意識向上が求められている。水源涵養林や防風防潮林の育成を中心に宮古の緑化推進に力を入れる「宮古森林組合」を紹介する。(砂川智江)
 

宮古の森林育成に努める(前列左から)砂川泰忠常務理事、狩俣仁美さん、伊志嶺亮組合長、塩川美佐子主事、
佐和田勝彦参事(後列左から)上原康嗣技師、宮平勝吉技師、下地幹男作業班長、平良秀雄同副班長
宮古森林組合
 


明るい黄色の花を咲かせるモクセンナ

 


 植樹の樹種として最多の数を誇るテリハボク


  
さわやかな香り漂うシークワサー


 宮古森林組合(組合長・伊志嶺亮宮古島市長)は、森林の培養・発展などを目的に一九九五年に設立。昨年で十周年の節目を迎えた。本土の森林組合は樹木を木材として販売する業務が一般的であることから、植樹・育樹を促進する「宮古森林組合」の性質は全国でも珍しいという。
 一九五五年には三〇%だった宮古の森林率は、復帰後の開発で急激に減少し、九四年には一六・三%、二〇〇三年には一六・二%まで減っている。同組合によると、森林率を一%増加させるには十年の時を要するという。森林面積の拡大は長い年月と作業努力の世代継承、開発化とのバランスが求められる大事業。同組合の砂川泰忠常務理事は「宮古の未来のために植樹、育樹活動を重視し、百年の計で豊かな緑づくりを目指したい」と話した。
 同組合は、自治体などからの委託を受けて実施する造林事業が主な収益源となり、テリハボクやフクギの植樹、育樹に力を入れているほか、敷地内には、シークワサーやツバキ、イヌマキ、タブノキ、クロキ、ヘメロカリスなどの植物が青々と栽培されており、苗木の販売を行っている。
 また、宮古島の緑づくりを推進するボランティア組織「美ぎ島宮古グリーンネット」は現在六百七十会員で構成されており、随時新規会員を受け付けている。問い合わせは同組合(73・8191)まで。

 ◇緑の歴史
 宮古地域は、琉球王朝時代から森林の少ない島で、一六五五年に白川氏恵根が初めて琉球松を植えたのが植林の始まりと言われている。また、琉球の政治家・蔡温(一六八二年−一七六一年)が林政八書の中で「宮古島は山林が少ないので、造林地を設定して大いに奨励すること」と方針を示したことで、島内の造林活動が本格化した。
 しかし、一八九三年の「島政改革・人頭税廃止」を請願する民衆を妨害する旧支配層によって乱伐。第二次世界大戦でも陣地、兵舎構築や食糧増産のために森林を崩し、終戦直後には乱伐や盗伐が続いたため、森林が荒れていったと伝えられている。
 みどりの日 国民の祝日の一つで「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」ことを趣旨とする。ゴールデンウイークを構成する日の一つ。四月二十九日は昭和天皇の誕生日で、一九四八年公布・施行の祝日法によって「天皇誕生日」として制定されたが、八九年の死去後、昭和天皇が自然を愛されたことにちなんで「みどりの日」とした。
 


赤い花びらが一際目立つカエンボク

 


 近年注目度の高いパイナップルミント(手前)とアップルミント(奥)


  
土砂流出防止に植えられることの多いヘメロカリス

市民の手で緑の島に



 

常務理事
砂川泰忠さん(67)

  「戦後、宮古の人々は雑木の枝を使ったまきで食事を作ったり湯を沸かしたりしていた。枝を拾いに行くのは子供の仕事で、山林は生活に直結していた」と振り返る。
 宮古に山林を増やし、末々まで豊かな地下水を守りたいと、島全体の緑化推進に情熱を傾ける。しかし一方で、近代的な地域づくり、住民の生活向上のためには農地や宅地造成といった開発行為も要するだけに、「保護・保全」と「開発」の間でジレンマに陥ることもあると心中を明かす。
 「それでも、時代の流れでしょうか。市民の環境問題に対する関心度が高まる中で、近年、緑の大切さを重視する人が増えてきたように思う。さまざまな団体が、機会をとらえて植樹活動を積極的に行うようになったのがその表れ」と率直に喜び「市民レベルの緑の輪が広がることを願う。植樹をしたら、規模にかかわらずその様子を誰かに伝えてほしい。木の話題が増えれば、おのずと関心も高まるのでは」と期待を寄せる。豊かな島は、住民一人ひとりのちょっとした行動でつくられると考えている。

 


 

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