「なりやまあやぐ」は友利の財産

城辺・イムギャーに歌碑建立

 「なりやまあやぐ」を歌い継ごう―。宮古民謡「なりやまあやぐ」にまつわる歴史を調査していた「なりやまあやぐ調査委員会(歌碑建立委員会)」(奥濱貞夫会長)は、同曲が旧城辺町友利地区で生まれた歌であるとして九月二十五日、イムギャーマリンガーデン駐車場に歌碑を建立し、先人が歌を通してはぐくんだ豊かな文化の継承を誓い合った。十月中には、これまでの調査内容をまとめた記念誌の発行も予定している。
  (砂川智江記者)

2.jpg (74996 バイト)

9月25日の歌碑除幕式では地域の民謡グループ
「なりやまの会」が「なりやまあやぐ」を歌い上げた

先人の文化を継承

1.jpg (53545 バイト) 「なりやまあやぐ」は、「何事にも深入りしすぎてはなりません」と教える教訓歌で、宮古を代表する民謡として多くの人に親しまれている。
 同曲について旧城辺町友利地区では、同地区の先人で公文書を配達する仕事をしていた佐久本武佐氏が歌っていた歌、と古くから言い伝えられていた。これを受け、二〇〇四年九月、部落会特別委員会で「なりやまあやぐ」の歴史について調べ、歌碑を建立する計画がまとまり、十月に調査委員会を立ち上げて調査を開始。膨大な資料や郷土史研究家の講話、丁寧な調査を重ねるうち、「なりやまあやぐ」に魅せられた先人たちの姿や解説の諸説が明るみに出た。
 同委員会の調べによると、「なりやまあやぐ」は一九〇五年ごろ、佐久本武佐氏が子供を戒める意味で歌っていたのが、現在調査できる範囲での最も古い史実だという。
 友利地区では愛唱歌のような位置付けだった「なりやまあやぐ」が、広く世に知られるようになったのは、一九六〇年に友利實功さんが素人のど自慢大会で歌ったことがきっかけだとされている。上原直彦著「そぞろある記・語やびら島うた」によると「当時の琉球放送ラジオの人気番組『素人のど自慢大会』の公開録音で宮古(琉映館)に行ったとき、出場者のひとり友利實功さんがからうた(無伴奏)で歌っていた。『なりやまあやぐ』が始めて電波にのったのである」という記述がある。
 友利の人々は、失恋の悲しみを「なりやまあやぐ」の旋律に乗せて歌ったり、郷愁の寂しさを紛らすために歌ったりと、さまざまな場面で口ずさんでいたことも分かり、先人たちが、この歌の美しいメロディーに励まされて人生を力強く乗り切っていったことをうかがい知ることができる。
 友利の先人たちが各々の生活の中で口ずさみ、自らを励ましたことからも分かるように、心に響く優しく美しい旋律は、友利はもちろん、宮古の財産として、いつまでも親しまれていくことだろう。 

 写真説明・城辺字友利のイムギャーマリンガーデンに建立された「なりやまあやぐ発祥の地」の碑

友利實功氏が広げる/のど自慢で披露、歌い手の指導も

3.jpg (25415 バイト) なりやまあやぐ調査委員会(奥濱貞夫会長)の調べによると、旧城辺町友利地区で歌い継がれてきた「なりやまあやぐ」を一般に広げたのは、一九六〇年に琉球放送ラジオ主催ののど自慢大会でこの歌を披露した友利實功氏だと考えられている。友利氏は六四年に先島中継局開局記念の宮古市町村対抗のど自慢大会にも出場して歌った後、宮古民謡工工四に同曲を掲載する際に協力したり、ほかの人の歌い方を指導するなど、さまざまな場面で「なりやまあやぐ」を世に広げ、多くの人に親しまれる機会をつくった。また、一九六九―七〇年には「覚書」と題したノートに、「なりやまあやぐ」をはじめ多数の民謡の歌詞や解説をしたためており、音楽をこよなく愛していたことをうかがい知ることができる。
 友利氏は一八九五年に友利地区で生誕。東京都での警視庁警察官時代を経て、帰郷後は、旧平良市内で、漢方療法の灸を施していたという。
 友利氏の「覚書」に記されていた「慣山節」(なりやまあやぐ)のページを紹介する。(原文のまま)
 【解説@】今より3、400年前から伝わる宮古の民謡だが他部落にはなく、字友利にだけある歌。この歌は友利實功が宮古の民謡保存会にもロクオンに吹き込んだが変曲してある。
 【解説A】山から世の中の総ての宝物が出る。そこで又、山は日頃から慣れなければならん。しかし、山には十分なれていると思っても、ナメて気をゆるし油断してはいけません。油断すると山には大難、災難に会うおそれがある。これは海にも水溜りにも言える事です。注意せよと大衆人民に心をいましめてある教訓を与へてある有意義な歌です。400年以上経っていると思う。宮古民謡にも私、友利實功がロクオンに吹き込んだ歌です。(字友利にしかない歌です。説明も私がしてある)

 写真説明・「なりやまあやぐ」を世に広げた友利功實氏

 「なりやまあやぐ」
一、サー なりやまや
  なりてぃぬなりやま
  すぅみやまや すぅみてぃぬ すぅみやま
  イラユマーン サーヤーヌ
  すぅみてぃぬ すぅみやま
二、サー なりやま 参いってぃ なりぶりさますなよ
  すぅみやま 参いってぃ すぅみぶりさますなよ
  イラユマーン サーヤーヌ
  すぅみぶりさますなよ
三、サー、馬ん乗らば 手綱ゆゆるすなよ
  美童屋行き 心許すなよ
  イラユマーン サーヤーヌ
  心許すなよ            (歌碑より)


4.jpg (33904 バイト)先人の豊かさ、地域の誇り
 なりやまあやぐ調査委員会/奥濱 貞夫さん

 友利地区では、十年以上前から「なりやまあやぐ」の詳細について調べてみようという気運があった。なかなか実現できないまま時間が経ったが、二〇〇四年九月に部落会で協議し、調査委員会を立ち上げて歴史をひもとくことになった。
 調べれば調べるほど、先人たちの心の豊かさが伝わり、地域の誇りとして子や孫の時代に継承していきたいという思いが強まった。広く親しまれている「なりやまあやぐ」が友利で生まれたことが明確化し、歌碑を建立できたことを心からうれしく思う。 

           「なりやまあやぐ」に関する年表

西暦 (年号)      事項
1859(安政6)8月、佐久本武佐、友利村25番地に生まれる(享年不詳)
1895(明治28)友利實功、友利村55番地の1で生まれる(昭和46年没77歳)
1905(明治38)佐久本武佐、子どもを戒めるため「なりやまあやぐ」を歌う
        (砂川武信覚書)
1948(昭和23)2月、友利實功、東京に転出する(昭和31年6月まで)
1956(昭和31)6月、友利實功、東京都目黒区より城辺町に転入する
1960(昭和35)夏、友利實功(65歳)、素人のど自慢大会(宮古琉映館)で「なりやま
         あやぐ」を歌う(上原直彦著「そぞろある記・語やびら島うた」)
1965(昭和40)友利實功、旧平良市内で灸をしていた
1966(昭和41)8月、古堅宗雄著「宮古民謡工工四」が発刊され、初めて
         「なりやまあやぐ」が収録される。作詞作曲者は記されていない。
1968(昭和43)平良重信、とみや会館で「なりやまあやぐ」を歌った際、友利實功
         から歌い方を指摘される。この後、旧平良市内の親子ラジオで
         5―6年間、平良重信の歌う「なりやまあやぐ」が毎日放送される
1969(昭和44)「なりやまあやぐ」初めて國吉源次によりレコード化される 
1970(昭和45)棚原玄正、友利實功から直接「なりやまあやぐ」を習い、
         實功の歌い方で宮古民謡舞踊曲集に収録する
1971(昭和46)12月、友利實功死去(享年77歳)
1972(昭和47)平良重信、レコード発行に伴い「なりやまあやぐ」の版権を友利實功
         の妻より譲り受ける
1994(平成6)3月、CD「かにすま・ぐすくべ地方の古謡」(歌:上田長福)が旧城辺町
           で製作され、「なりやまあやぐ」元歌が収録される
2004(平成16)10月、なりやまあやぐ調査委員会が発足
2005(平成17)6月、なりやまあやぐ歌碑建立委員会が発足
2005(平成17)9月、なりやまあやぐ歌碑建立

(なりやまあやぐ調査委員会・歌碑建立委員会が作成中の歌碑建立に係る記念誌より抜粋)

<<<美ぎ島netページにもどる