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空中にカツオ舞う
 
今年も伝統漁 始まる
 
池間島 カツオ漁

 空中に舞う銀色のカツオ。今年も池間島で、伝統100年のカツオ漁が始まった。宝幸丸(船主・川満安生、17トン)に乗り、カツオの群れを追う男は13人。さおをしならせポンポン釣る一本釣りは、壮観だ。1日に約3トン水揚げされ、島の生活を潤している。

 写真説明・宝幸丸の船員と船主の川満さん(右から6人目)

◆ 50年前までは宮古の一大産業
 
 池間島でのカツオ漁業は、1906(明治39)年に始まった。鹿児島県出身の鮫島幸兵衛が池間の人々を雇い、2隻のカツオ船とカツオ節工場を操業させた。10年には池間の人たちが組合を結成して船を買い入れ、宮古のカツオ漁業が幕を開けた。
  その後、カツオ節製造は隆盛を極め、50年ごろまで宮古の一大産業の地位を占めていた。しかし、日本の高度経済成長に伴い、従事者が減り年々衰退。55年ごろまで14隻あった船は、現在、宝幸丸一隻となった。
  「私の代で池間のカツオ漁業を終わらせたくない」が宝幸丸の船主・川満さんの口癖だ。現在経営はカツオ節の下落など厳しい環境下だが、この信念を支えに日々努力している。

◆ いざ、出陣
 
 池間島での今年のカツオ漁は、7月6日に始まった。夜明け前の午前5時45分、宝幸丸は餌取りに使うボートを引き池間漁港を出港。船員たちは6時15分から、朝食をとった。6時30分に船が止まり、近くのリーフで餌(キビナゴの一種の小魚)取りを開始。伝統の追い込み網漁で取った餌は、ボートがピストン往復して運び、船のいけすに流し込んだ。  8時30分に餌取りを終え、船は一路北に向かった。与那嶺富夫船長はひたすら双眼鏡をのぞく。カツオの群れは、その上空を飛ぶ「トリヤマ」(アジサシの群れ)が目印だ。


朝食をとる船員たち。メニューは豚肉とトウガンを煮込んだみそ汁


【 餌取り 】
 餌取りは高度な技術とチームワークを要する伝統の漁法。網をリーフに降ろし、餌を網に追い込み、引き揚げて桶に入れ、カツオ船に運ぶ時間はわずかに5分間。追い込みには、約2メートルの竹を使う。池間島で追い込み漁ができるのは、ほとんどが高齢者。今後、後継者の育成が課題になっている。
 写真は取った餌をいけすに入れている様子


双眼鏡を目に当て「トリヤマ」を探す与那嶺船長


カツオの餌・バカジャグ(キビナゴの一種)

 11時50分「トリヤマ」を見つけ、現場に急行。
 群れを見た船長が「ダイバン(大物クラス)だ」と叫んだ。1人の船員が餌をまく。糸先の擬似餌にも食いつき、しなるさおを揚げるとカツオが宙に舞った。格闘は15分間で終わり、1・5トンを釣った。
  その後、パヤオで釣り帰路へ。島に近づくと船に大漁旗が掲げられた。帰港は午後4時40分。港は初ガツオ目当ての客でにぎわった。
  宝幸丸で取るカツオの約2割は生売り、残りは船主の川満さんが経営する丸満鰹節工場で、カツオ節や特産品に加工されている。同工場自慢の特産品は、なまり節や珍味の味付けなまりや「かつおくん」、カツオ味噌など。これらの品は、観光客から好評を博している。川満さんは「カツオ節は外国産が出回っているので厳しい。今後は特産品加工しかない」と将来に懸ける。


カツオ一本釣りの風景。こん身の力をふりしぼりカツオを揚げる男たちの姿は豪快

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