人 生 雑 感 (99)

「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる」

沖縄国際大学名誉教授  福里 盛雄(せいゆう)

T家庭の幸せは物の豊かさでなく、心の豊かさによる
 これは、聖書の箴言17章1節の聖句でありますが、物質の豊かさと家庭の幸せとは必ずしも比例しないことを教えていると思います。一切れのかわいたパンしか持ち合わせていないような貧しい家庭であっても、家族の全員が心から愛し合い助け合い、本当に信頼し切って生きているならば、幸せで理想的な家庭であると言える。そのような家庭は平和であり、外での疲れた心を癒す働きをしてくれる。それに反して、どれほど物質的に豊かさであっても、家族同士が裁き合い、争いの嵐が家の中で吹き荒れているなら、その家庭の物の豊かさは心の慰めには何の役目をも果たしていないことになる。そのような家庭は生き地獄であり、そこで生活している家族の者にとっては、家庭はないのと同じである。人は、家庭が幸せを家族に与えないとしたら、それをどこで得ることができるでしょう。家庭外でそれを手にしようとしても、それはほとんど不可能に近い。どんなに社会が変化しようとも、人を幸せにするのは、やっぱり家庭が中心である。家庭が家族にとって人間として幸せを与えることができなくなったとき、家庭は人間にとって不必要な存在となり、そのことは、人間の存亡の危機の到来を意味する。
 今日の家庭がその本来の機能を失いつつあることの現象が、頻繁に起きていることは本当に憂うべきことである。夫婦が殺し合い、親が自分の子を虐待し、子が親を虐待したりする事実に接する度に、この世の終わりが来ているような思いを抱くのは私だけでしょうか。家庭の崩壊は何としてでも防止しなければならない。それは可能でしょうか。

U物質的豊かさだけでなく、心の豊かさを
 私たち日本人は第二次世界大戦によって、郷土は壊滅状態のダメージを受け、その日の生活にも事欠く困窮の中に陥れられた。そのために、心の豊かさより、物質的豊かさを手に入れるために心なき機械のように働いてきた。物質的には豊かになり、家庭は冷たい風が吹き抜け、家庭からぬくもりが消え、精神的に貧しくなり、特に夫婦間の愛は栄養失調になり、夫婦の絆はもろくなったと言われている。家庭生活の中心は、夫婦関係であり、夫婦関係の崩壊が家庭の崩壊の大きな要因となる。夫婦関係が円満になれば、親子関係も自然と円満になるものと考えます。
 幼い子の虐待はその多くが、実親であり、特に実母の虐待が多いという統計は、今日の幼児虐待の防止策の根本課題は、やっぱり夫婦関係の改善であると考えざるを得ません。
 夫婦がお互いに心から愛し合い、相手を価値ある独立した人格者として尊敬し合い、自分を愛するように、相手を愛し合う義務を履行することに忠実でなければならない。自分を愛するようにとは、自分がされた時嬉しいように、それと同じように相手にもその行為をすることである。具体的に申し上げると、一人の人間として持っている基本的欲求を充足し合うことである。人間としての生存的欲求だけでなく、互いに愛し合い、連帯し、協力し合い、一緒に生活している喜びを実感し、この人と生活していることは何と楽しいことか。お互いの感謝の生活こそ、たとい一切れのかわいたパンしかない家庭でも、ご馳走と争いの絶えない家庭より、ずーっとずーっと幸せな家庭だと言えるのではないか。
 そのためには、本当の幸せとは何かについての価値観の転換が必要だと考えます。それは大変困難なことであるが、成し遂げなければならない。私たち日本人の課題の一つである。
 

 

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