衝撃・台風14号直撃 (下)

最長14日間の停電/復旧作業員、住民の我慢強さに驚き
 

 ■沖電、総力挙げての復旧作業
 「電気がついたよ」。城辺町保良に住む主婦、福里さん(74)は20日、平良市内に割烹店を経営する息子に連絡してきた。
 10日夜の停電から数えて11日ぶりに電気のある夜を迎えたことで思わず声が弾んだ。
 「テレビが見られる。ご飯もおいしく食べられる。何よりも洗濯ができるのがうれしい」
 台風14号で電気、水道、電話などのライフラインは各地で寸断され、住民生活に大きな影響を与えた。連鎖して倒壊した電柱は、幹線道路を遮断し交通もマヒ状態。信号機も止まったままで、市内の主要交差点では車の渋滞が続いた。
 断水は台風通過後2日目で全面回復したが、停電の被害は大きく、一時はほぼ全世帯に当たる約2万2000世帯に及んだ。
 沖縄電力は本社をはじめ沖縄本島や八重山などから応援要員を派遣。最大500人体制で復旧に全力を挙げた。
 20日午後11時55分に高圧配電線が全面復旧。その後、家屋への引き込み線作業を進め、24日午後5時、復旧のめどが立ったとして「非常災害対策本部」を解散し「復旧宣言」した。
 台風通過後の11日夜から14日間にわたる復旧作業。電気がついた家庭からは歓声が上がり、生活の息吹が感じられた。
 上野村に住む主婦の愛沢悦子さんは、「やっと生きた心地がした。心も明るくなった気がする」と晴れ晴れとした表情だった。
 ■「住民が協力的だった」
 「地域住民からパンや飲み物の差し入れがあった。『頑張って』という声もよく掛けられた。宮古の人は本当に協力的だった」。沖縄本島などから来島した応援要員らは口々にこう話した。
 連日、早朝から深夜にわたる復旧作業でくたくたに疲れている作業員らに住民らは励ましの言葉を忘れなかった。
 那覇市から来た応援要員の宮里賢次さんは「住民からの『ありがとう』という言葉にジーンときた。次は旅行で必ず来ます」と笑顔だった。
 ■各方面から救援・支援続々
 「宮古の復興に役立てて」と企業や団体、個人などから義援金も続々と寄せられている。
 平良市出身の歌手、下地勇さんは那覇市でライブを行い、観客から集まった募金を届けた。「僕にできることは歌って、宮古の人を元気にすること」
 宮古出身者らでつくる「あららがまヒューマンネットワーク」は特産品フェアを開催し、収益金を台風被害救援に役立てる。会の名称にならい「今こそアララガマ精神を」と呼び掛ける。
 こういった救援・支援は住民らの大きな支えになることは間違いなく、宮古市町村会では「配分委員会」を設置し、配分先を決める方針だ。
 ■学校に子供たちの歓声響く
 各地のサトウキビ畑や園芸施設、民家、商店、観光・公共施設などには台風のつめ跡が大きく残ったまま。電話も全面復旧には至っておらず、家をなくした被災者への「仮設住宅」もこれからだ。
 台風後、子供たちから「窓や木のそばに怖くて近寄れない」「暗い場所に行くとドキドキする」などといった心的外傷後ストレス障害(PTSD)と見られる報告もあるなど、復興への課題は山積みだ。
 しかし、住民らが待ち望んでいた電気が復旧したほか、学校では給食が再開、延期になっていた運動会も行われ子供たちが歓声を響かせている。
 復興への道は険しいが、毎日少しづつ、確実に行われている。
    (平良幹雄記者)  

 

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