続・花は島いろ

宮古民謡多くの人に伝えたい

宮古民謡歌手

砂川 国夫さん(35歳)

(東京都在 宮古島市平良字西仲宗根出身)

 「東京にはドラムでプロになりたいと思って上京したさぁ」と笑顔で話す砂川国夫さんは現在、宮古民謡歌手として東京と沖縄の舞台に立っている。高校を卒業後、生活のためにトラック運転手、会社員、調理師とさまざまな仕事に就いた。それもすべてプロのドラマーになるためだった。しかし迷いつつたどり着いたのは宮古民謡だったという。
宮古民謡の歌手になるきっかけは三年前、あるイベントに呼ばれ宮古民謡を披露したこと。主催者や観客に好評で、新たな仕事が次々に舞い込んできた。
「夢を持って上京して、がむしゃらに頑張ったつもりだったけど芽は出なかった。そんなとき宮古に里帰りしたんです。ふとした時、聞こえてきたのがあの『家内和合』だったんですよ」。
久しぶりに耳にした宮古民謡のとりこになった。東京に戻ってから三線をつま弾き始め、それからは一日たりとも手から三線が離れることはない。三線教室も周りから勧められて開講した。「これもすべて尊敬する在沖宮古民謡協会の来間武男前会長に出会ったから」と話す。その来間さんの素晴らしさを肌で感じてもらおうと、月に一度のスペシャル講座の準備も最近始めたばかりだ。講師としては他からの誘いもある。もちろんステージに立つことも多い。最近は川崎のラ・チッタ・デッラで行なわれたハイサイフェスタが盛況だった。「毎日歌うから、毎日宮古のことを考えているよ。こんな素晴らしいものを残してくれた先人に感謝の気持ちでいっぱいですね」と話す。
「一人で育ててくれた母が亡くなって、宮古との縁がプツリと切れた気がした」。六年前に宮古で母が息を引き取り、兄弟もいない国夫さんはなんとなく宮古が疎遠になってしまったという。その悲しさが宮古への思いにますます火を付けた。
「宮古とは歌でつながっているんです。今は歌でしかつながれない気がするし」。自分の言葉として歌えるようになったのはここ最近とも話す。慣れなかったライブも今では「方言に感情が宿るようになった」と褒められることも増えた。砂川さんのライブの特色は最後にクイチャーを踊ってもらうこと。このときは最高潮に会場が沸き立つ。「宮古の歌を歌うと心強くなる。宮古は俺の誇りさーね」と屈託のない笑顔を見せた。
 今後は沖縄と東京での唄会や教室をコンスタントにやっていきつつ、全国を視野に入れて宮古民謡の素晴らしさを伝えていく。七月には沖縄本島でライブを行う予定。
「これが自分の人生に与えられた仕事だと思っているからさー」。ひとしきり情熱的に話した後、少年のように照れた。

  砂川 国夫(すなかわ・くにお)1970(昭和45)年7月8日生まれ。宮古島市平良字西仲宗根出身。北小、北中、宮古高校を卒業後、上京。在沖宮古民謡協会所属。

                                (東京・菊地優子)
連絡先kanisuma@yahoo.co.jp
砂川国夫のあららがまblog http://araragama.ti-da.net/
 

<<<続・花は島色ページにもどる