続・花は島いろ

心はいつも宮古とともに

オフィス・バンズ代表取締役社長

宮平 文博さん(41歳)

(宮古島市平良字東仲宗根出身)

 「すべて成り行きですかねー」と笑う宮平文博さんは、現在、編集プロダクションの事務所を東京都港区・表参道に構えている。昨年は旧平良市が発刊した「てぃだの花」の編集にも携わった。「子供の時は作文は全然書けなかった。あこがれてはいたけれどかなり遠い世界(笑)」。しかし今ではそんな世界にどっぷりとつかっている。
 子供時代は引っ込み思案な少年だった。「おとなしくて我慢強い子供だったといまだに母親からは褒められるよ」
 高校ではハンドボール部で活躍。しかし腰を痛め、卒業後は浪人しながら那覇で治療に専念した。歩けない時期もあったが治療のかいあって回復。先輩を頼って上京した。「いわゆるフリーターのはしりですね」。当初ウエーターをしていたが日雇いで運送や建築現場へ。ある日建築現場でスカウトされて型枠大工になった。「建築業は子供のころから見ていたし向いていたと思う」。
 しかし、生活の安定とは裏腹に心中は穏やかではなかった。「おれは本当は何がしたいんだろう」と焦りと迷いがピークで「道が見えなくて惨めな気持ちだった」。そして腰が悪化。精神的にも肉体的にも疲れ果てていた。
 そんな時に宮古出身の先輩に編集のプロダクションのアルバイトとして誘われた。原稿の配達などの傍ら、夜間でエディタースクールに通う。同じ時期にカメラの勉強も始めた。
 きっかけは、当時付き合っていた美穂さん(現在の奥さん)が持ってきてくれたパンフレット。その講座はあこがれの石川文洋氏が講師だった。石川氏は『写真記録ベトナム戦争』などの著作で知られる沖縄出身の報道カメラマンだが文筆家としても評価が高い。
 「実はカメラは言語化の作業と同じ。フレーミングの意味付けやその瞬間を切り取ることが大切」。
 卒業後は有名写真家の弟子になり、三年後には独立。フリーのカメラマンとなるが、数年後、娘が誕生するのをきっかけに不規則な生活にピリオドを打った。再び先の先輩が社長になっていた編集プロダクションに戻る。そこで学んだことはすべて宮平さんの血となり肉となった。その後、二〇〇二年に編集プロダクションを立ち上げた。
 「腰を悪くしたり、道が見えなくなったりしたとき、宮古の先輩方が必ずチャンスを与えてくれた。今は僕が誰かの力になりたい。この業界に興味がある宮古の若者がいればできる限り力になりたい」そして「将来は宮古から東京、アジアに向けて情報を発信していきたい。自分の時代では無理でも次の世代につなげたい」と語る。
 現在、宮平さんは経営者として「人を生かす場づくり」をモットーに日々仕事をこなしている。「今になって両親の苦労、経営の大変さが分かりますね」と苦笑いする。厳しい技術者の父としっかり者の母に育てられた。言葉ではなく、後ろ姿から学んだものは多い。「自分では育ちが悪いと思っていたのですが、でも実はなんて家族に大事にされていたんだろうと今は感じる。ギリギリのところで捨て鉢にならない、自分を信じていられる。それは心の奥底にはその安心感がいつもあるからだと思います」と真っすぐな瞳で語った。

電話:03−5766−5866
メールアドレス:officebands@officebands.com

 宮平 文博(みやひら・ふみひろ)1964(昭和39)年5月9日、宮平定清(ていせい)さんと初枝さんの長男としてに宮古島市平良字東仲宗根に生まれる。北小、北中、宮古高校を卒業後、上京。02年オフィス・バンズの代表取締役社長となる。妻・美穂さんとの間に1女。


                                                                        (東京・菊地優子)
 

<<<続・花は島色ページにもどる