続・花は島いろ

恩師の存在に感謝

東京農大地域環境科学部2年

大井 純一さん(19歳)

(元宮古農林高校環境班)

 「毎日計算ばかりしています。土と水の研究だと思ってたのに」と苦笑する大井純一君は東京農業大学地域環境科学部生産環境工学科で学んでいる。月曜から金曜は午前九時から午後四時半までぎっしりと講義がある生活。課題も多く土日も気が抜けないという。
 宮古農林高校の環境班ではリーダーを務め、推薦で大学入学を果たした。「いつも先生に恵まれた」と語る。農林高校へ進んだのは中学校時代の恩師石川裕子先生に「性格的に研究をしている農林高校はどうか」と勧められたのきっかけ。環境班顧問の前里和洋先生は入試の面接の試験官でもあった。
 大学での勉強も「農林高校の教壇に立ちたいから頑張れる」と話す。今も帰郷すると自然に農林高校環境班のプロジェクト室に足が向かう。宮古では周りの人に「卒業したら戻ってこいよ」と言われるとなんだかうれしくなる。
 幼いころ、父親の郷里の東京から引っ越してきて平良第一小、平良中、宮農と進んだ。中学までは「いるかいないか、全然分からないような生徒」だった。ただひとつ中学時代の三年間真剣に取り組んだのが空手。当時、上水道企業団に勤めていた嘉島常夫さんが師匠で「そのころから何か水には縁があったのかも」と笑う。世界水フォーラムでは空手の形をオープニングで披露して宮古をアピールした。
 大学入試は「とても緊張した」。「面接三分と言われていたのに僕だけ十五分もかかった」。心配をよそに無事合格。その陰には前里先生、環境班の後輩らの応援があったという。「入試前に後輩が質疑応答の試験官役をしてくれた。研究内容をいろんな角度から答えられるように」おかげでとても自信がついた。そんな仲の良い後輩たちとも入部当時は険悪な雰囲気だったという。そのころの自分を「愛きょうもなく無口で一匹オオカミ」と評する。「まったく自分が見えてなかった。後輩たちに『ちゃんとしっかりしてほしい』とまで言われた」お互いけんか腰になったとき、前里先生が間に入ってくれた。諭されて自分の今までの自分の態度を深く反省したという。「どこに行ってもてんぐになるな。謙虚にやりなさい」。前里先生のその言葉が今も耳に残っている。「研究の面はもちろん他の面でも僕にとって大きな存在」と語る。自然とチームワークも良くなり、最終的にはリーダーとなった。「土日返上で休みがほとんどなかった。その時は大変だったけど今思うとすべてにありがとうです」と笑った。
 これからの目標は「研究室に入って地道にこつこつと土いじり(笑)じゃなくて研究に取り組みたいです。土と水の研究をしていると胸を張りたい」。
 大井 純一(おおい・じゅんいち)1986(昭和61)年、父康夫さんと宮古出身の母裕子さんの間に長男として東京に生まれる。3歳のころ宮古に家族で移り住み、平良第一小、平良中、宮古農林で学ぶ。現在、東京農業大学で地域環境科学部生産環境工学科の2年。両親、弟の4人家族。

                                                                (東京・菊地優子記者)

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