続・花は島いろ

実直一筋に生きる

大三建装工業代表取締役

砂川 三郎さん(55歳)

(城辺町比嘉出身)

 座右の銘は「休まず 怒らず 焦らず あきらめず」。山あり谷ありの人生をこの言葉通り、実直一筋に生きてきた。経営する大三建装工業(本社・北谷町)は現在、従業員数百人余の企業に成長した。県更生保護会の評議員も務め、罪を犯した人たちの更生に尽くしている。
 十八歳のころ、運転免許を取った。その免許証を手に家出同然に沖縄本島の兄を頼り、宮古丸に飛び乗った。
 那覇市内の沖縄敷物社に就職。間もなく結婚した。新生活は苦しく、仕事休みの土日は街に出てダンボールを集め、しのいだこともあった。
 沖縄敷物の友利社長は、経営者であり、教育者でもあった。「公私の区別を明確にし、礼儀、けじめの大切さを口癖にしていた。あの人がいなければ、今の自分はなかった」。同社長との出会いが、その後の人生を支える大きな力となった。
 二十八歳の時独立し、建築関係の会社を起こした。しかし、元請会社が倒産し、多額の売掛金が取れず、自社も解散した。
 苦しい思いを酒で紛らわす日々が続いた。「これ以上飲むと、駄目になる」。酒を断つため潜り漁に出て、魚を売り生計の足しにした。
 そんなある夜、「社長の教えを守っておれば、倒産はなかった。よし、今からでも遅くはない」との思いに駆られた。
 一念発起し、コンクリート打設や型枠などを中心業務にする現在の大三建装工業を一九八八年に設立。当初の約十年は、自ら現場作業に出向き、職員の送迎もするなど、働きづめだった。同社の技術、真心込めた仕事は高く評価され、四人からスタートした会社は「いつの間にか百人を超えていた」。
 九〇年、法務省の依頼を受け、県更生保護会の評議員を引き受けた。以来、刑を終えた人たちの雇用を受け入れ、現在も約三十人が社員寮で生活を共にしながら働く。
 「みんないい人。ただ、世間の目が駄目。みんな頑張ろうという気持ちで来ている」。肉親のように温かく接し、時には厳しくあたり、立ち直りを手助けしている。身を崩した要因は酒と賭け事がほとんど。朝礼では、過去の生活を反省し、身だしなみ、礼儀をきちっとし、世間から認められるよう、いつも言い聞かすという。
 熱い思いは、どん底から手を上げ救いを求める彼らを、しっかり引き上げ立ち直らせた。その中には、結婚し世帯を持ち、子をもうけた人も多い。
 更生保護の功績は高く評価され、数多くの表彰を受けている。
 昨年は、棟上げや祝い座、親睦会等にヤギ汁やバーベキューなどを出前する食品部を立ち上げた。利用者にとって手間が省ける便利なサービスは、ひっぱりだこ。「これから、伸ばしていきたい」と新たなビジネスに夢が広がる。
 砂川 三郎(すながわ・さぶろう) 1950(昭和25)年2月16日生まれ。城辺町比嘉出身。現住所は北谷町浜川。65年西城中卒。70年沖縄敷物入社。88年大三建装工業設立。90年県更生保護会の評議員。更生保護の功績が認められ93、95、96、97、00、01年に法務大臣表彰を受ける。母ミサホさん、妻トモ子さん、長男友久さんと4人家族。

                                                         (那覇支局・新城孝夫記者)

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