続・花は島いろ

「バガス飼料ブランドづくりに熱意」

沖縄ノーチクバイオ代表取締役

下地 和成(かずなり)さん (51歳)
 
(平良市東仲宗根出身)

 青春時代をイラクで過ごし、現在は沖縄本島で乳酸菌発酵技術提供業を営む。「未知の世界への旅、新しいことへのチャレンジが好き」という夢多きミャークンチュー(宮古人)だ。同技術を使い開発したバガス飼料は商品化まで、あと1歩のところに来ている。
 1972年、宮古高校を卒業した。高校在学中、テレビの特集番組でアラビアと出会い、アラビア行きを決意する。中近東での夢は、遊牧民と生きることであった。卒業後、東京の専門学校に進み、アラビア語を学んだ。75年大手建設会社に就職。同年イラク駐在員として派遣され、夢がかなった。
 海外駐在員の仕事は多忙を極めたが、意識して一般の人たちとも交流した。「日本人は現地の人に優しく接し、民間大使の役目も果たした。日本人とイラク人の友好の裏には、そうしたこともある」と胸を張る。しかし、1980年イラン・イラク戦争が勃発。罪のない人たちの死に行くさまを目の当たりにし、青春の夢を捨て、八六年に帰国した。「イラクの人は豊かな自然とともに、ゆったり暮らしていた。人の生きる根本を見た」と、平和なころのイラクを懐かしむ。
 沖縄に帰った当初、バイオ産業が脚光を浴びていた。新しいもの好きの独学で微生物の勉強を始めた。5年前、ある場所で採取し培養した菌(乳酸菌)の分解能力の高いことが分かり発見に成功した。この菌のすむ所は、企業秘密だという。現在、この菌は沖縄有機社に採用され米ぬかやコーヒー粕、ビール粕などの発酵肥料や液体肥料製造に使われている。同社からは、技術提供料などが入るという。
 1年半前には、球陽製糖と提携しバガス飼料の開発に着手した。現在実証試験に入っており、来年5月ごろの商品化を目指す。
 試作品はすでに完成し、長期保存や牛の食いつきの良いことが分かっている。鹿児島県の肉用牛肥育業者に送ったところ、大量購入の要望が来るなど、好評だという。球陽製糖との提携は農林水産省の官報に載り、全国に紹介された。同工場から年間3万トン出るバガスの飼料化では大きな付加価値創出が期待されている。
 この乳酸菌は、海を越えはるか遠い南米のブラジルにも渡ることになった。名護市在住のネルソン玉城さん(ブラジル出身・日系二世)が代理人となりバガス飼料化事業を展開する予定だ。ブラジルは世界有数のサトウキビ生産国。沖縄育ちの菌は国際貢献にも一役買いそうだ。
 最近、トウモロコシの茎と葉を乳酸菌で発酵させたところ、良質の飼料ができ特許を出願した。「実は収穫し、茎と葉を飼料にできれば一石二鳥の収益。補助事業を導入し、プラントを建設したい」と意欲を燃やす。
 夢は乳酸菌を使って、畜産飼料の有名ブランドを創り出すこと。目に見えない小さい菌だが、でっかい夢をはぐくんでいる。

下地和成(しもじ・かずなり)1953(昭和28)年10月1日生まれ。51歳。平良市東仲宗根出身。下地恵一さんの長男。72年宮古高校卒。74年アジア・アフリカ語学院アラビア語科卒。75年東亜建設工業に就職、現地駐在員としてイラクに派遣される。86年イラン・イラク戦争中イラク勤務を終え帰国。2000年有用乳酸菌を発見する。02年有限会社沖縄ノーチクバイオ設立。妻佳津恵さんとの間に2女1男。趣味は農業。パパイアや島バナナ、島ラッキョウなどを栽培する。

                                                        (新城孝夫記者)

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