続・花は島いろ

「隠れた歴史との出会いがうれしい」

伊波普猷(いはふゆう)賞を受賞した

豊見山 和行( とみやま かずゆき)さん (48歳)
 
(下地町出身・琉球大学教授)

 「歴史研究は、隠れた歴史(史料)と出会えたときがとてもうれしい」。日本、中国、琉球の古文書を調べ上げ、新しい視点で論考した琉球史研究「琉球王国の外交と王権」が伊波普猷賞を受賞した。近世琉球の薩摩隷属説(通説)に異論を唱える研究で、琉球史に新風を吹き込むものと注目を集めている。
 下地町上地の生まれ。小学3年生の時、沖縄本島に移住した。高校は首里高校に進学。同校での世界史の授業が歴史研究に進むきっかけとなった。世界史の中に、琉球史を位置付ける授業が行われ、この時から琉球史に関心を持つようになったという。今でも「足元に結び付かない研究は面白くない」と、原点を忘れない。
 大学は琉球大学の史学科に進み、琉球史を専攻した。そのころ、庶民史を中心に新しい視点で研究していた沖縄大学の安良城盛昭教授に出会い、感化を受けることとなった。石垣や与那国まで教授と行き、民家などに眠る古文書を複写収集。県立図書館にも足を運び、集めた。古文書の文字は一般にはなじめないものだが、慣れると難なく読めるそうだ。
 大学時代の研究は「近世琉球における夫役制の成立」という題名で卒業論文にまとめた。夫役は人頭税のころ、支配層が平民に課していた無償労働奉仕のこと。そのころ、古文書に基づく研究論文は皆無だった。
 1984年、名古屋大学大学院に進み、ここでも琉球史を研究し、以来、最近までの研究の集大成として「琉球王国の外交と王権」を発刊した。
 「琉球は薩摩に隷属的に支配され、がんじがらめになっていたとされるが、言いなりになっていただけではない。国の利益を守ろうと、薩摩や江戸、中国と知恵を絞り外交していた」。同研究は「琉球の主体性」を基本に、通説の「隷属説」に一石を投じた。「琉球主体」の一例として、薩摩で罪を犯した琉球人が琉球に帰され、裁判を受けた裁判記録も示す。
 近世琉球の全体的な社会構造の把握を研究課題に据える。「これまでは上の方から見てきたが、これからは庶民の方から見ていきたい。従来は、悲惨な庶民像が描かれているが、主体的に生きる人たちがいたはず」。この言葉に、前向きな人柄がにじみ出る。
 宮古の子供たちに「身近なことに関心を持ってほしい。その中から宮古の素晴らしさ(文化、歴史)が見えてくる」とメッセージを送る。

 伊波普猷賞 沖縄学の父とされる伊波普猷の業績を顕彰し、故人に続いて沖縄の文化振興と学術の発展に寄与すると認められる研究ならびに著作に贈られる。

 豊見山 和行(とみやま・かずゆき) 1956(昭和31)年12月8日生まれ。48歳。下地町上地出身。80年琉球大学卒業。89年名古屋大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。99年博士(歴史学)取得。2004年琉球大学教育学部教授。著書は「日本の時代史 第18巻 琉球・沖縄史の世界」ほか多数(共著含む)。下地町には祖母のカマドさんと父・正成さん、伊良部町に妻・愛さんの母方の親せきが住む。

                                                         (新城孝夫記者)

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