続・花は島いろ

「宮古民謡は最高に素晴らしい」

宮古民謡師範/在沖宮古民謡協会長

来間 武男( くりま たけお)さん( 62歳)
 
(上野村上野出身)

 【那覇支局】「宮古民謡には歌詞の素晴らしいものが多い。昔の人を思うと民謡はやめられない」―。
 20歳ごろに宮古から那覇へ移住。28歳ごろから趣味で三線を始めた。古堅宗雄氏に師事し、4、 5年すると、民謡教師となり宮古民謡研究所を開いた。県内の民謡新人ベストテン入り、民謡レコード大賞新人賞などで知られるところとなり、弟子が押し掛けた。
 これまでカセットやCDに収録した宮古民謡の曲は約70曲。「宮古島夜曲」や自作の「宮古音頭」など演歌調も含めると100曲以上になる。
 「道ぬ美らさや かいやぬ門(ジョー)(蔵元前の道) あやぐぬ美らさや 宮古ぬあやぐ…」(『宮古ぬあやぐ』)
 「大世(うぷゆ)照らしうす真太陽(まてぃだ)だき 国ぬ国々島ぬ島々照り上がり覆いよ…(太陽は世界の国々、島々まで照らしているよ…)」(『とうがにあやぐ』)
 「『とうがにあやぐ』は全世界の歌。太陽がすべてを平等に照らすように、人間もそうできないものかと思う。宮古の民謡には味わい深いものが多い。何百年も前に、空腹の時代になぜこのような素晴らしい歌ができたのか。昔の人の偉大さに感動する」と、その素晴らしさを強調する。
 宮古民謡を愛してやまなかった弟子のエピソードも印象深い。
 3年前、来間さんより年輩であるが弟子の1人が65歳で死去した。宮古民謡をこよなく愛し、自分が死んだら『とうがにあやぐ』で送ってくれと遺言していた。来間さんは告別式で、涙ながらに三線を弾き歌った。参列した皆から民謡を愛した故人にふさわしい告別式だっと喜ばれたという。
 来間さんは在沖郷友会の敬老会などでも、宮古民謡を歌い喜ばれている。芸能企画も業とする。
 今年で17年の長寿番組となるNHK・FMラジオ「うちなあジョッキー」(毎週金曜日午後6時―7時)では、スタート時から月1回担当、宮古民謡を楽しく案内している。
 また、8月24日からは1年かけて宮崎県を皮切りに北海道まで、沖縄物産展会場で歌う予定で、「宮古民謡を広げる機会になる」と意気込む。
 去る4月には、在沖宮古民謡協会の新会長に選任された。
 「若い人が少ないのが残念。若者を育てて、会を発展させたい。民謡の掘り起こしも欠かせない。放っておくと、歌いやすいものだけになっていく。会を盛り立て宮古民謡を普及させたい」と、決意を新たにする。
 協会の「アーグ大会」(8月15日、浦添市民会館)には、大阪や外国からの参加も予定され、盛り上がりが期待される。さらに、10月3日には「芸能祭」(那覇市民会館)を予定している。

 来間 武男(くりま・たけお) 1941(昭和16)年11月30日生まれ。上野村上野出身。上野中学校卒。沖縄製糖宮古工場に4年程勤務した後、那覇へ渡り兄の卸屋を手伝う。28歳ごろ独立して衣料品店経営。趣味で三線を始め、古堅宗雄氏に師事。32歳ごろ民謡教師免許取得。那覇市若狭で来間武男宮古民謡研究所を開設。34歳ごろ沖縄テレビの民謡新人ベストテン入り。民謡レコード大賞新人賞受賞。36歳ごろ首里に移転。首里末吉町に民謡酒場「円満」経営。弟子は現在、師範と教師で100人以上。2004年4月在沖宮古民謡協会会長に就任。子供は1男2女。

                                                             (編集局長・川満幸弘)

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