続・花は島いろ

「高品質の商品供給を目指す」

(有)黒糖本舗「垣乃花」代表取締役

垣花 兼一 さん( 45歳)
 
(下地町川満出身)

 「黒糖は身体に必要なミネラルなどの栄養素を豊富に含んでいる。沖縄のサトウキビで作る黒糖に付加価値を付けて外貨を獲得し、地域経済を良くしたい」
 黒糖加工品を製造販売する黒糖本舗垣乃花の垣花兼一社長(45)。幾多の壁を乗り越えて業績を伸ばし、国内の黒糖業界で有数の企業にまで成長させている。
 同社の前身は、父親の宏信さん(故人)が1974年に創業した「垣花商事」。宮古から浦添市に移住しての家内工業だった。当時の黒糖業界は家内工業が多かったという。
 垣花さんは農業大学校をでて、ハワイでの農業研修なども経験。87年に家業を手伝うことになったが、「この業界は当時マイナーで、将来性が感じられなかった。自分も仕事に対する誇りも持てなかった」と言うほど、身の入らない日々を過ごした。
 そんなとき、88年に長女を亡くすという不幸に遭った。大きなショックを受け、信仰の世界へ入った。仕事に対する希望も無くしていたが、「信仰を通して勉強し、『世の中に偶然はない。思った通りになる』との考えになった。意識が180度変わった」という。
 やがて「思ったことは実現する。それを黒糖のビジネスで実践しよう」と決心。「そこで考えたのが、黒糖は全国的に知名度がある、これはすごい点だと…。全国展開ができるとの気持ちになった」。
 心機一転し、本格的企業化を目指す取り組みが始まった。沖縄の産業まつりに出展して、いろいろな人と知り合い、話す中で、本土ルートを開拓。ビジネスチャンスが出てきた。89年に本土への営業展開に乗りだし、東京での物産展で商談を進めた。商品は宮古製糖多良間工場で生産した黒糖が原料。純黒糖をはじめ沖縄の薬草やヘルシー野菜などを入れた商品を次々に開発。県物産公社の全国の「わしたショップ」を通した販売や、独自に販売ルートを開拓し、大手デパートやスーパー、生協などに出荷。しだいに軌道に乗ってきた。
 2000年、食品業界を大きな波が襲った。6月に雪印乳業の集団食中毒事件が起きてから、同様な事件が次々明るみに。売上高の低迷が続いた。「作れば何とか売れる時代は終わった。食品の『安全、安心』が消費者から厳しく問われるようになった」
 そんな中、垣花さんは02年7月に具志川工場を創立。会社の新生を期し同年10月、品質管理に詳しい医学博士と顧問契約を交わし、工場改革を断行。仕入れ、製造、洗浄、ペーハー検査、乾燥チェックなど30項目以上に及ぶ製造マニュアルを作成。工場内の衣服管理も徹底する。
 今年度、年商3億2000万円。従業員は55人。売上高は15年で10倍伸びた。「品質が会社のメーンを占めるようになった。今年はISO9000(品質管理・品質保証の国際規格)とHACCP(ハセップ:宇宙食の安全性確保のために考案された詳細な管理法)の両方の国際規格を取得するのが目標。立派な品質の沖縄の商品を供給する」と抱負。「宮古人だから、アララガマ、負けないぞ、との気持ちがある」と力を込めた。

 垣花 兼一(かきはな・けんいち) 1958(昭和33)年4月12日生まれ。下地町川満出身。下地小、那覇中(下地中3年に転校)、那覇工業高、県立農大卒。ハワイで1年間、農業研修。「青年の船」でアジア見聞。87年父が経営する黒糖商品製造の垣花商事に入社。89年から責任者となり本土への営業展開開始。02年7月具志川工場創立。同年10月抜本的な品質管理改革を構築。売上高は15年間で10倍に。現在年商3億2千万円。趣味は読書。妻の尚子さんとの間に2男1女。

                                                             (編集局長・川満幸弘)

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