続・花は島いろ

仕事は生き甲斐、蓄積を若い人へ

医療コンサルタント

下地 恒毅 さん(67歳)
 
(東京都千代田区在)

hanasima030704-1.tif (124196 バイト) 「プロフィルも何も本当にあちこち行っていましたからねぇ」と下地恒毅さんは穏やかな笑顔を見せた。下地さんは宮古で生まれ3歳の時に家族と共に台湾へ渡り、10歳で宮古に戻った。
 「宮古高校から那覇高校へ転校して国費の第2期生として熊本大学の医学部へ進みました」と話し、医学の道を一筋に歩んできた。卒業後は熊本大学でインターン、そして京都大学大学院へ進学、再び熊本大学で講師として務めた。その後、アメリカのミネソタ州メイヨークリニックへ留学、後にウイスコンシン医科大学で客員教授など自らの向学心とともに数年単位の転機を軽やかに繰り返した。
 「新潟大学全国公募で教授に選ばれて、退官するまでの26年8カ月は新潟で過ごした。私たちの世代の特徴はハングリー精神なこと。だから頑張れたんでしょう」と笑う。
 麻酔学、救急医学、ペインクリニックを専門にしている下地さんを医学界で今や知らない人はいないほど。国内海外の15の学会で理事や評議員として活躍し、数え切れないほどの論文を世に送り出している。日本で数人しか資格を取得していない英国王立麻酔学会専門医など医師免許のほかに7つも資格を持つ。「医療はサービス業が原点。でも日本はまだまだです」と語る下地さん。医療コンサルタントの仕事も「少しでも日本の医療を良くしていきたい」という気持ちで始めたという。
 退官後、医療コンサルタント事務所を開設し現在、週に1度東京でペインクリニックの診察を行う。また来年度開校予定(国内)の大学院づくりに情熱を傾け、マレーシアの大学の医学部設立準備委員会にも携わるという多忙ぶり。「結局は人材が大切ですからね。今までの蓄積を若い人に伝える事ができればうれしいです。そのためには開校予定の大学院をどうやって魅力ある大学院にするか、そして今までの研究をどのように進めるかが課題ですね」と話す。 新潟と東京の住まいを往復しているが「落ち込む暇も考え込む暇もない、仕事が生きがい」と話す。そして島に住む若者たちに「地球の丸さや青さは外に出なきゃ分からない。1度島から、そして日本から外に出てみては? そこから新しい何かが見えてくることもあるはずです」とエールを送る。
 「こんなにも頑張れる秘けつは?」の問いに「精神的なものが大きいでしょうね。結局は自分との戦いですよ。医者は死ぬまで勉強しなきゃ」と笑って答えた。

 下地恒毅(しもじ・こうき) 1935年(昭和10)年11月21日生まれ。平良市西里出身。麻酔学、救急医学、ペインクリニックのスペシャリスト。60年熊本大学医学部卒業後、京都大学大学院、メイヨークリニック大学院で学ぶ。教授、医師として第一線で活躍。  
  (東京・菊地優子記者)

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