続・花は島いろ

医介補の祖父思い 医の道に

国立感染症研究所 感染症情報センター主任研究官

砂川 富正 さん(39歳)

hanasima030701-1.tif (176094 バイト) 世界を震撼させた新型肺炎(重症急性呼吸器症候群=SARS)。国内で数少ない感染症の専門家として、最前線で調査した。現在は収束の傾向を示しているSARSだが「完全に病気が治まったという話ではない。冬に向けて、新たな対策を練らないと」。さまざまな感染症を研究しており「普段の生活の中で、帰ってきたら手洗いをするとか、食べ物にはよく火を通すといった、基本的な予防対策が大事」と呼び掛ける。
 医の道を志したのは、医介補をしていた祖父・砂川富吉さん(故人)の影響。医介補とは、沖縄だけに設けられた制度で、医療の心得のある人が任命され、離島・へき地の医療に貢献した。富吉さんは戦後、物資の乏しい中、城辺町新城や福里、伊良部町佐良浜などで医介補を務めた。いつの頃からか医者になろうと思ったのは「祖父のことが心のどこかにあった」からだ。医学部に合格した時も両親を置いて真っ先に報告したほど、祖父への尊敬の念は強い。
 今年3月、SARSが大流行した香港に飛び、世界保健機関(WHO)の職員らと調査。5月にはSARSに感染した台湾人医師が旅行したことで騒ぎとなった関西にも出向き、調査を実施した。「当然、危険はあるが誰かがやらないといけない。日本には感染症の専門家が少ない。まだ医者としての経験が少ないので、自分のトレーニングという意味もあった」。SARS発生以降、全国各地で引っ張りだこ。沖縄でも2度、講演会を行った。「会場からは、さまざまな現場の悩みが伝わってきた。それにきちんと答えることは自分にとっても勉強になった」。話す言葉1つひとつに責任感がこもる。
 幼い頃から城辺町砂川出身の父・朝春さんに連れられ、那覇まつりの芸能パレードでクイチャーを踊った。「今は忙しくて県人会活動などをする余裕がない。いかんなあ、とは思うんですけど。ホームシックになったこともあるんですよ」。故郷への想いは人1倍。いずれは沖縄に戻って医療活動に従事したい、という気持ちも抱きながら、きょうも研究活動に取り組んでいる。

 砂川 富正(すながわ・とみまさ) 1964(昭和39)年1月13日生まれ。那覇市首里石嶺町出身。父・朝春さん=城辺町砂川出身=、母・百合子さん=大宜味村出身=の長男。城北中、首里高校、琉球大学医学部卒業。大阪大学大学院医学研究科博士課程修了。医学博士。同大学医学部附属病院小児科、国立感染症研究所実地疫学専門家養成コースなどを経て、02年、同研究所感染症情報センター主任研究官。
 (那覇支局・砂川拓也記者)

top.gif (811 バイト)