20歳のころ第2次世界大戦に出兵し、シンガポールの地上戦で右腕を失った。命を落とした戦友を思えば、命を残して郷里に帰り、子や孫に恵まれた幸運に感謝しているという。
27歳で帰郷。行商をしながら畑を購入して一心不乱に働いた。左手だけでかまを持ちくわを振り上げる農作業は過酷を極め、中には冷たい視線を注ぐ人もいたが、持ち前のアララガマ根性で踏ん張ったという。一人っ子の寂しさから「兄弟は多い方がいい」と7人の子をもうけ、現在は家族が集まる盆や正月が最も幸せを感じる時だ。
「言い尽くせないくらいたくさんのことがあったけど、今は楽しくて仕方がない」。近ごろ夢中になっているのは、デイサービスのカラオケ。「歌を歌うと心が開く」。友人にもしきりに勧める。十八番は、北島三郎の「年輪」だ。
子ども7人、孫8人、ひ孫1人。
(砂川智江記者)
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