宮古本島で暮らす孫たちの運動会で、今年も楽しく応援したと顔をほころばせる花城さん。「どの子も同じ服装だから、遠くから探すのは大変だけどね」と笑いながらも、孫の成長を誰より喜ぶ。
第二次世界大戦では海軍として兵役に服したという。「今こうして孫の顔を見られる幸せも、戦死した戦友たちのおかげ。当時を思うと涙があふれて言うべき言葉も見つからないので、慰霊祭には1度も行ったことがない」と話す。
20代半ばで多良間村に帰ってからは、農業のほかに左官や大工、水道工事といろいろな職業を経験した。「瓦ぶきの家も造ったし、タイルを張ったりもした。水道工事は、宮古(本島)から来た業者を家に泊めたことがきっかけで始めたんだよ」と、穏やかな口調で振り返る。
「元気に100歳まで生きて、ひ孫の顔も見たい」と笑顔を見せた。
子供5人、孫14人。
(砂川智江記者) |