◇ 戦地からの頼り 今でも保管
上野村名加山・
仲宗根ヨノシさん(86歳)
「君は故郷にありてくわを取り、俺は戦場にて銃を握る。果たす仕事は変われども同じ国のためだ」。
仲宗根明行さんが、満州事変や支那事変に出兵した際に、戦地から妻のヨノシさんあてに送った手紙の一文だ。
ヨノシさんは、5通ある手紙を今も大事に保管している。「この手紙が私たちを守ってくれた。私たちのお守りでもあり、宝物」。
戦地から送られてきた手紙には、常に1人娘のことがつづられている。「ノブちゃんもヨチヨチ歩くと思う。良く良く気を付けて悪い習慣を付けない様に養育してくれ」。
娘が生まれてから6カ月後に支那事変に出兵。家族3人で過ごしたのもわずか6カ月間だった。
歩兵軽機関銃手だった明行さんは、常に死と隣り合わせで、ヨノシさんは「いつも覚悟は決めていた」という。
「ヤマ(ヨノシさんの童名)、君も俺と別れて不愉快な日が続くだろうが、一時の辛抱だ。君がつらければ俺もつらい」。戦地で、わずかな時間を利用して書いた妻への思いが、最後の手紙となった。
夫の戦死の通知がヨノシさんの元に届けられたのは、手紙が届いた3カ月後の1938(昭和13)年10月10日。明行さん24歳、ヨノシさん22歳、「一粒種」というノブちゃんは1歳だった。
ヨノシさんは、「覚悟は決めていたものの、戦死の通知を受けてからはしばらくは体の力が抜けて何をする気にもなれなかった」。しかし、夫の力強い手紙に励まされ「夫の分まで長生きしなければ」と思ったという。
明行さんの命日が近づくと、自然と手紙を読み返すというヨノシさん。「手紙を読むと夫がそばで話をしているよう。読むと必ず夢の中に出てくる」と笑顔を見せた。
「戦争は、私のような悲しい出来事を生み出す。決して、2度と繰り返してはいけないねぇ」。
写真説明・夫の明行さんが戦地から送った手紙や数々の勲章が宝物と話すヨノシさん=上野村名加山の自宅で
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