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 一大海水浴のメッカ 

伊良部・渡口の浜

島尻 強さん
                                          
2005年9月19日掲載

 白い砂浜と淡いコバルトブルーのコントラストが美しい景観を保ち、訪れる人々の心をとらえて離さない伊良部町随一の砂浜、渡口の浜。打ち寄せるさざ波が心地よいメロディーを奏で心が癒やされる。地域住民の憩いの場であるこの浜は、近年観光客が多く訪れ、一大海水浴のメッカとして脚光を浴びている。

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白い砂浜と海の青のコントラストが美しい渡口の浜=伊良部町

50-toguti.jpg (12718 バイト)渡口の浜

 伊良部町は伊良部島と下地島からなり、渡口の浜は伊良部島の南西部に位置する。幅50b、長さ800bにわたる真っ白な砂浜。コバルトブルーの海と白い砂のコントラストが美しい。砂浜の上部には展望台があり、宮古本島や下地町来間島を望む。夏場には地域の住民や観光客らが大勢訪れ海水浴を楽しんでいる。

shimajiri.jpg (35187 バイト) 伊良部島南西部、下地島に架かる乗瀬橋のたもとから航海守護神を祭った乗瀬御嶽前を通り約二百b行くと砂浜と海が眼前に広がる。町民の憩いの場である渡口の浜だ。
 歴史をさかのぼれば渡口港とも呼ばれていた時代があった。沖合には今でも桟橋の跡がある。一九六○年代まで南区(伊良部、仲地、国仲、長浜、佐和田)の住民が旅客船の乗降に利用していた。渡口港は平良港を結ぶ海上交通の拠点だった。
 島尻強さん(50)=伊良部町役場勤務=は「私が子供のころは、旅客船に乗って平良市へ行った。旅客船は木造船の勝幸丸(約二○d)。平良港までの航海中、引き縄をしながらたくさんの魚を釣った。乗船客全員が喜びに沸いたものだ。約一時間半くらいで平良港に接岸した」と懐かしむ。
 渡口の浜は子供たちの遠足の場でもあった。島尻さんが通っていた伊良部中学校から徒歩で約三十分かかった。
 「生徒たちは渡口の浜に到着すると、すぐに泳ぎ出し水しぶきを上げた。みんな元気いっぱいだった。海から上がった生徒たちは、砂浜を走ったり、自然観察するなど思い思いに楽しい時間を過ごした」と振り返り「夏休みには、船や桟橋から海に飛び込んだりもした」と笑顔で話した。
 渡口の浜の後背に自生する海浜植物も魅力の一つ。砂浜からツキイゲ(イネ科)、グンバイヒルガオ(ヒルガオ科)、ハマオモト(ヒガンバナ科)、モンパノキ(ムラサキ科)の植物が陸地へと続き、アダン(タコノキ科)、モクマオウ(モクマオウ科)などが混生する。
 ツキイゲの針状種子は球状となる。この球状種子が海風を受け、砂浜に落ちるとコロコロ転がっていくから面白い。グンバイヒルガオは、葉が相撲の行司が持っている軍配に似ているからその名前が付いた。
 島尻さんは「渡口の浜は、穏やかな日は世界中のどの海浜にも勝る白い砂と海の青が魅力。それが台風や季節風が近づいてきた時の海の色と白波とのコントラストは一段と美しい景観を醸し出す」と絶賛し「その景観は訪れた人々を魅了する」と強調する。
 台風や季節風の影響などで、渡口の浜の砂は海へ大量に移動し、いつの日か戻ってきて元の状態を形成する。渡口の浜の表情は自然現象によって変化し、不思議と感動の景観を繰り返す。「砂浜が浸食されて消えた時はがっくりするが、それが戻った時の喜びは無上。砂が散歩に出掛け、海水にたっぷり浸ってから帰ってきたようなことを想像する」。
 将来の渡口の浜について、島尻さんは「マリンレジャーの基地、海洋レクリエーションの拠点地として施設整備が図られていく要素を十分持っており、今後自然と調和された利活用を望みたい」と言葉を強めた。
 渡口の浜を満喫した人々は「海で泳いでリフレッシュした」「砂がきれいなので気持ち良かった」などと口をそろえる。
島尻強さん(しまじり・つよし) 1955(昭和30)年8月1日生まれ。50歳。伊良部町国仲出身。伊良部町役場職員。

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