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 このままの風景残して 

下地・来間大橋

上地 洋美さん
                                          
2005年9月19日掲載

 宮古島の観光スポットとして人気の高い来間大橋。宮古島観光企画調査では池間大橋に次いで二位の地位を占めるなど、知名度も高い。来間島民の離島苦解消のために建設された橋は、住民の生活や農業面に大きな潤いを与え、今では観光地としても不動の人気を得ている。

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1995年に開通した来間大橋。今年3月で開通10周年を迎えた=下地町

50-kurima.jpg (12684 バイト)池間大橋

 1975(昭和50)年、離島苦解消のため来間住民が下地町に架橋の実現を陳情したのをきっかけに、来間大橋建設の要請が動き出す。島を挙げた動きは宮古全体にまで波及。ついには国や県を動かし事業採択に至った。総事業費約9億7千万円、橋の長さは1960b。1995年3月13日に開通し、当時は「日本一長い農道橋」として話題を呼んだ。

ueti.jpg (22177 バイト) 来間大橋は、来間地区県営一般道路整備事業として一九八八年に建設工事が始まった。離島苦を訴えていた来間の住民たちが立ち上がり、町や県、国への要請から二十年の時を経て「夢の架橋」は実現した。
 下地町与那覇出身の上地洋美さん(49)は小学校四年生のころ、来間小中学校へ新任教師として赴任したおじの元へ、毎週末、食料や衣類を祖母と届けていた。当時は現在のように集落へ続く道路はなく、来間井横の岸壁にある石段を登っていったという。町内の学校給食共同調理場の事務を務めていたころは来間の児童生徒たちの給食をフェリーまで運んだ。「来間のおじの所へ荷物を運んでいた時は子どもだったし、崖から落ちないか、とにかく怖かった思い出がある。漁港が整備され来間大橋も架かり、今ではすっかり便利になった」と当時を懐かしむ。台風のため給食を食べられなかった来間の子どもたちのことを思い、橋が開通した時は心から喜んだ。
 上地さんが語る来間大橋の魅力は景色の美しさ。「開通した橋の上を渡ったときは、とにかく海の青さが印象的だった」。来間大橋から見る海は、いつも見慣れていた海とは違った新鮮な感動を与えてくれた。
 開通により交通の便が良くなり、島民の生活は飛躍的に向上した。地下ダムのパイプラインも付設されたため、特に農業面では大きな恩恵をもたらした。そんな来間大橋は今では観光スポットとして知名度も高く、観光客だけでなく地元住民たちの人気も高い。
 上地さんが求めるのは「あまり手を加えない自然のままの風景を残す」こと。「美しい自然と環境はそこに住む人々の心もはぐくむ。宮古島の人の心が温かいのはそうした環境に恵まれているからこそ。もうこれ以上の手は加えず、このままの風景を残していってほしい」と願っている。
上地 洋美さん(うえち・ひろみ) 1955(昭和30)年10月3日生まれ。49歳。下地町与那覇出身。農業。

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