tiny notes in a little time

 

5/31.sat. 
いろいろな人と会っていろいろな話をする。大工仕事は少し中断。
 

5/28 wed.
今朝、地震の事を知った。
家の中は引っ越し状態でTVも隅っこに移動して全く見ていなかった。
いろいろな所で地震があった様だがまだ詳しいニュースをチェックしていない。
台湾も揺れたようだが、原発は大丈夫だったんだろうか。
これだけ原発があると、どこが揺れても心配だ。

5/27 tues.
床板貼り作業をきっかけに大掃除は改装に変更してしまった。
朝から午後4時頃まで一気にすすめ、5時過ぎに疲れて投げやりになり、
作業が雑になってきたので仮眠する。今日は柱を改装した。
といっても私がするので、いつもなるべく力を使わない方法を考える。
薄くて木目がきれいなシナベニヤで12〜15cmの正方形木製タイルを作り、茶系のオイルステインで
3色程色違いを作り、モザイクや市松模様に壁などに貼るのだ。かざり用に一枚のタイルに5本程
ちいさな真鍮の釘を打った後、薄くニスを塗るとなかなか趣がある壁になる。
手間がかかるけれど、安くて重厚な風合いを出すのにこの方法はお薦めなのだ。
という事で、仮眠後、DIYショップの工作室で木製タイルを作製。
それから畳沈下防止用に10mmのコンパネで台を作る。ジグゾーで波型のラインに切り、
カンナがけ、サンダーがけと進んだ。お店のサンダーは恐ろしく重く、ハイパワーで回転式だ。
サンダーが木に触れる瞬間、私の方が跳ね返ってしまう。係員さんは心配そうに見ていたが、
私は作業をしながら
『これは右手でダンベル体操をしているのと同じ効果があるな、しめしめ。』と思う。
だけど明日、右手が上がらなくなったりして。

5/26 mon.
畳を上げてみたら床板がシロアリに攻撃されているのを発見し、床板を貼り直す。
久々に「ジグゾー」を使った。音と振動が強力で、この道具を使うと男らしい気分になる。
一昨日、懸賞が当った喜びから、気が大きくなって念願のパワー・ネイラーを購入した。
充電式ではないので3000円で買えた。あまりにも安いので心配したが結構パワーがあって使える。
二台目が壊れてから、ずっとねじ回し生活を送っていたのだが、これでもう怖いもの無しだ。
これならもっと早く買えばよかった。以前7000円台の充電式を購入したが、全く使い物にならず
パワー・ネーラーは20,000円台でなければ使えないと思い込んでいたのだった。
別に充電式にこだわる必要はなかったのだ。
電動式大工道具を使い、男らしい気分になった勢いで仕事がはかどる。重い物も気合で運ぶ。
レコードが大変重いという事を久々に思い出した。レコードは米軍払い下げの家具に収納して
いるのだが、この家具は頑丈に出来ていてレコードの重さにも余裕で耐えている。
シンプルな洋風デザインも良いし木もしっかりしている。でも中味はスチールなので大変重い。
故に畳が深く沈む。この問題を解決しなければ。
明日も大工仕事だけれど、体力が持つかなあ。工事、改装は今まで自分でやってきたので
作業自体は大変楽しいけれど、揮発性塗料や、木くず、ホコリなどを吸い込むとかなり疲れる。

 

5/25 sun.
伐採から始まった大掃除は、やっと半分のところまで来た。
あと二部屋+外回り+写真の整理を終え粗大ごみを捨てたら終わる。
殆ど引っ越しと同じレベルの家具の大移動。
保存しているものは、殆どが普段使わないものなのだが、
いつか必要になりそうで捨てられないという微妙な加減の為に
「物」がどんどん増えるのだ。ふー。

 

5/24 sat.
《自慢話》
少し前にほっかほっ○亭の新メニューのお弁当を買ったら、懸賞ハガキがついてきた。
「10万円分、100名様にプレゼント!」というタイトルで15種類の商品の中から10万円分、
好みの品を選べることになっていた。懸賞などに応募することはめったにないのだが
今回は、『もしや沖縄地区からは応募が少ないので結構当るかもしれないな』と推測し、
てきぱき投函した。
そんな事はすっかり忘れてしまっていた今日、何と懸賞当選通知が来たのだ!!

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わぁいヽ(∇⌒ヽ)(ノ⌒∇)ノわぁい♪:・;^・;・*.";.*:
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それにしてもこんなに大きなものが当ったのは生まれて初めてだぁ〜!
こんな事って私には関係ないことだと思っていたけれど本当にあるのですね・・・(ノ⌒∇)ノわぁい♪
子供の頃、あんなに毎日トライした「コリスガムのくじ(一回5円)」も
一等の《豪華ガムセット》は絶対に当らなかった。
大人になってからも福引きは、いつもいつもポケットティッシュとアメ玉だったんだ・・・。
そのトラウマが今日打ち砕かれたのだ!
大物では、デジタルビデオカメラ(Sony)や液晶TV(シャープ)、DVDレコーダー(東芝)、
PDAクリエ(Sony)などなどいろいろあったが、どれもそんなに必要なものではなかったので
小物を3点選んだ。
こんな時には、あの派手なタキシードの人
(お名前何でしたっけ)に是非おいでいただき、

《GETS!!》

-------------------------と言ってあの手とあの笑顔で去っていって欲しい。

選んだ商品は、これこれこれ。いやー、ホントにうれしいなあー。
両手ばなしで喜ぶ事なんて、なかなかないので今日はしやわせだぁ〜。(^^)(^^)(^^)

 

5/23 fri.
お絵書きBBSを作ってみた。こだんちゃんがどんどんお絵書きをしてくれている。
あれくらいの年齢の子供の表現はのびのびしていて素敵で大好き。
テキストばかりのネット世界で、手描きのものをみると安心するね。

5/22 thu.
あっ!日記が途中のまんまだ。やっぱり昨日はダメダメだったんだなぁ。今日は元気dayで螢も見た。

 

5/21 wed.
身体がせっかく夏モードになったというのに、この4、5日は肌寒くて
また体内の設定を変えなければならない。私はこの微妙な変化にすぐに適応できないので
いつも体内のバランスが気候に安定するまで眠くなったり、頭痛がしたりする。
今日は特に頭痛が酷く頭が重くて大変だった。夕方になり薬が効いてきて
やっと人心地がつく。今日は午後から町中に霞みがかかっていて

5/20 tues.

螢螢螢吾が身も点されり 玉簾

 

《夢の中の地図》
一日ぼんやりして過ごす。今日も誰か誘って螢を見に行こうと思っていたが、
夕方熟睡してしまって行きそびれる。気温が低くて眠りやすい気候なので
少し眠ろうと思ったら熟睡してしまった。眠っている間も不思議な夢ばかり見る。
今日もまたいつもの夢の地図の中に居た。
地図は必ず水無瀬あたりから京都に向けて始まっている。
水無瀬から大山崎までの景色はいつも桜吹雪か薄い雪景色である。
この辺りで発掘の仕事をしていたせいか、この付近は遺跡不思議区域という事になっている。
実際、石器や縄文土器が出るのだから古くから人が住んでいた場所であるし小さな古墳も多い。
171号線から京阪側はいつも五月の緑色の景色。樟葉は何となく好きで安心できる場所。
今日は三条大橋のところで、ある集会に出席した。夢の中では三条河原町は、なぜか特別な
場所ということになっている。現在スター・バックスがある三条大橋あたりが、
夢では要の場所になっているようだ。京都に行くといつも河原町は歩かずに高瀬川沿いか、
先斗町の路地を辿って三条まで歩く。
その方が人も少なくて早いし、家のたたずまいも良く、空気も少しはいいからである。
そのせいでいつも夢の中も同じ道が出てくる。路地が突然「錦」の市場に続くこともあるし、
錦が地下に通じている事もある。歌舞練場のあたりには、いつも三十三間堂の中央の
大きな千手観音と同じ大きさの仏像があるのだが今日はそれはなかった。
その仏像の背中から小さな山がはじまっており、その山は父方の祖父の墓地がある
道後温泉の裏の小さな丘に続いている。
四条大橋から向こう側はいつも海が始まっていて、屋形船が海に向けて出ていったり
五条大橋の代わりに大きな水門があって、観覧車のような巨大な水車が回っている。
水車の水は南禅寺の手前奥の水路に繋がっているのだ。ああ、まだまだねむい。


5/19 mon.
東京から遊びに来た知り合いと螢を見に行く。
ヤエヤマボタルは水場ではなくても生息でき、光の点滅の速度が大変速い。
もう螢の季節は終わりだと思っていたが、今日は山肌一面に光が延々続いており、
山ごとクリスマスツリーのようだった。
一陣の風が来ると光の点滅がまとまってふわりと移動する。
その様子は海の中で見る鰯の群れの動きに少し似ていた。
カエルの声はつやつやで、コロコロ、カラカラ、と響く。
フクロウ、夜行性の鳥の鳴き声、オオコウモリの羽音、植物のさわさわ。
全部いい音。耳がリセットされるようだ。



5/16 fri.

アリアケカズラに絡ませると丁度いい具合だと思って今年は朝顔の種を沢山蒔いた。
「夕月」という風流な名前で渋いオレンジの花が咲く朝顔の種も蒔いてみた。
朝顔なのに「夕月」という名前は少し変だけれど花の色には合っている。
毎日芽が伸びるのを観察するのは楽しい。観察できるのが、種蒔きの醍醐味だ。
それから去年咲いていた桔梗のこぼれ種が芽を出してもう花をつけそうだ。
こぼれ種と言えばここでは、日々草は雑草化していていろいろな所に咲いている。
コンクリートの隙間からでも咲くし、茎も小さな木のように太くて固いのだ。
そうなったらもう年中咲いているので楽なのだ。でもスズメガの幼虫がたまに
全部食べて茎だけにしてしまう。いもむしの食欲はすごい。
隣の空き地にも白粉花のこぼれ種の苗を植えた。
程よい日差しと温度と雨は、伐採した木々が新芽を出すのに良い環境だ。

 

5/15 thu.
沖縄は梅雨入り。友人が帰る。仕事は引き続き忙しく、連日休みなし。
今日は大きな雷が一度鳴る。久しぶりに雨が来たので植物の水やりの心配をしなくて良いのがいい。
梅雨だからこれから仕事が少しは暇になるかなあ。たまにはゆっくり休みたい。
鳩間島にでも行ってみたいなあ。でも大掃除がまだ途中なのだ。

5/14 wed.
友人は奥さんと子供と三人で来たのだが、子供が可愛いのだ。まだ1才半で、お人形が歩いているみたいだ。
ぬいぐるみをあげたら気に入ってずっとだっこしていた。ぬいぐるみの顔と赤ちゃんの顔の大きさ
が同じぐらいで、丸さも似ていて、もう可愛すぎる。何か教えると素早く学習して、覚えた事を
やってみせる。赤ちゃんと意気投合したので、言葉を教えたりして私も楽しむ。赤ちゃんパワーで
幸せな気分になる。

5/13 tues.
昨日、旧知の友人が来島。彼はラテン好きで、長い間サルサバンドを組んでいた。
東京に住んでいたころは、お互いサポートメンバーとしていろいろなバンドを掛け持ちながら
活動していた。久々にスタジオを取ってセッションをする。
私は仕事が急に忙しくなり、最後一時間しか参加できなかった。
アフリカンドラムのメンバーもやってきて短い循環の三拍子の曲を延々回す。
夏の季語の「白南風」が浮かんできたのでアフリカ風地声で
「しーろーはーえーーーよ、しーろーはーえーーー♪」と歌ってみる。
なかなか面白かったので今度セッションがあったら季寄せを持って行こう。
 

5/11 sun.
今日は素晴らしい天気の日だった。
橋を渡って埋め立て地の公園に行っていろいろな写真を撮る。
猫、子供、犬、海、おじいさん、漁港で泳ぐ若者、など。
テトラポットの上にいた蟹の甲羅は茶と浅葱の美しい模様だった。
写真を撮っている間、犬は釣り人の餌箱をのぞいたり、
通りすがりの子供について走ったり、泳いだりして遊んでいた。
今日は一年の中で最高の日といってもいいくらい美しい光の日だった。

  

5/9 fri.
Stephen Addissさんから“South by Southeast/vol.10,no.2”をご恵贈いただいた。
今回は十周年記念の特集として“Ten years of SxSE favolites”というタイトルで
今まで発行した30冊の中から幾つかのhaikuを取り上げて観賞するコーナーがあった。
執筆はJim Kacianさんが担当。Jimさんには、

dozing in spring--
a butterfly emerges
from my palm

(春眠や手元の羽化を見逃せり  玉簾)

についての観賞文を書いていただき大変光栄だった。

 

5/8 thu.
寺山修司の命日にアップしようと思っていた俳画があった事をすっかり忘れていた。
過ぎてしまったけれど今日アップした。

  

5/7 wed.
連休中は仕事が大変忙しかった。仕事の方は昨日あたりからやっと暇になってきたが、
仕事と伐採作業に追われていた為にプライヴェートのルーチン・ワークが山のように
溜まってしまった。ただの片づけは果てしなくつまらなく泣きそうなので、
今まで目をそらしてきたデッド・スペースを生かす事にする。
これをきっかけに大掃除もする事に決定。


【計画その1】
1.DIYセンターで棚用の板を加工。
2.家でオイル・ステインなどで塗装。
3.デッド・スペースの片づけ
4.棚取り付け
5.目隠し用のカーテンなどの作製(ミシンかけ等)

もともとこういう仕事も大好きなのだが、周囲が大変散らかるので気合をいれないと
なかなか取かかれない。今回は、この
このサイトを見て感動。
この人を見習って久々にいろいろ頑張る事にした。
そうめんの箱でギターを作ったなんて凄い!

5/3sat.
暑いし、湿度は高いし。そろそろハブの活動期だ。
昨日は一日伐採。早朝から夜8時過ぎまで延々肉体労働をしていた。
夏場は暑くて力仕事などできないから、梅雨が来る前に全部伐採を終えなければ。
今日は筋肉痛で動きがのろのろしていた。
実は昨日、子猫の悲劇があった。

「子猫の悲劇」
お昼に子猫みたいな変った鳴き方の鳥が来たなぁと思って見に行く。
二階の窓から見えるがじゅまるの木の中ほどにある平たいスペースに、
目が開いて一週間目くらいの子猫が三匹いた。
母猫はいないようだ。カラスがその周囲を飛び回って狙っていた。
『カラスは食べ物に困っていないだろうから、まさか攻撃まではしないだろう、
さて、どうしょうかな、あれでは落ちそうで見ていられないなあ。』と思いながら
2、3分目を放した隙に子猫はカラスに襲われ、二匹は木から落され、
なんと目をつつかれてしまっていた。一匹は重症のようだった。
カラスを追い払って梯子をかけて木に登り、残った無傷の子猫を降ろして
三匹を木の根っこの裏側に隠す。

母猫が帰ってきて血だらけの子猫を見つけて辺りを見回していた。
母猫は、子猫をくわえて、また同じ木の上に運んだので私は止むなく登場して
「そこは、駄目!カラスが来るから!」と強く言ってみたけれど通じない。
(犬の場合「ダメ!」というとだいたいの犬は一瞬行動を止める)
そうこうしている間も、カラスは低空飛行をして子猫を狙っていた。
仕方がないのでまた木に登り、子猫を取って見せて、その場所は人の手が届く事を
母猫に教える。

取った子猫を地面に置いて去ると、母猫はすぐに子猫をくわえて場所移動をはじめた。
やれやれと思った所にうちの犬が登場したので、母猫は、パニックになって
子猫を置いて逃げた。それから大変な思いをして母猫を追っかけてとにかく無傷の
子猫だけは、母猫に渡す事が出来た。

残り二匹はどうなっただろう。あとは自然に任せることにする。
本当は私が手を出す問題ではないのだけれど、目の前で子猫がつつかれるのを
ただ見ている事は出来なかった。母猫が帰って来て良かった。
じゃなければ手を出した責任があるから飼わなければいけなくなるけれど
両目が潰れてしまった猫を育てても生きていけないだろうし。

もともと、そのがじゅまるの木は昼はカラスの、夜はヤエヤマオオコウモリと
きじむなあ(妖怪)のテリトリーなのだ。そこに猫が入ってきた為にカラスは
攻撃したのだろう。その母猫も頑張ったけれど、まだ若かった様で経験不足だったんだろう。
でも地上5mの柵無しの小さなスペースに、これから動き回るさかりの子猫を運ぶのは失敗だよ。
それにあの場所、カラスへの捧げ物台のような場所だったし。

もし、私がカラスをいじめるような結果になった場合、カラス達は覚えていて、
私、及び私に似た外見の人間を襲うようになる。そうなったら私も困る。
ここはカラスを責めていないそぶりを見せながら一連の行動をしなければならない。
動物のテリトリーに入るといろいろ気を使う。もし、その木にカラスの巣があって
子育て中だったら、次から私が攻撃の対象になる確率は非情に高い。

そう言えば犬を連れて散歩している時も、行き慣れない場所に行くと見張りのカラスに
追跡されて追い払われる事がある。カラスのテリトリーは、群れごとに町内会のような
感じで別れている。ある場所を越えるとカラスは追跡を止める。一匹だと可愛いけれど、
群れるとカラスは怖い。夕方人気がない浜で、30匹くらいのカラスに威嚇鳴きされると、
大変怖いのだ。でもカラスって本当に目を狙うんだ。気をつけよう。

目を潰された子猫を思い出す度に『くーーー・・。』という気分で大変ヘヴィーなのだ。
猫でもこんな気分になるんだ。目の前で人がどんどん殺されるのを見続けたイラクの人達は
この先どんな気持ちで生きていくのだろう。戦場から生還した兵士は『自分が撃った弾や爆弾で
人を粉々にした』という事実をこの先どのように解釈して生きていくのだろう。
・・・と、また戦争に気持ちがリンクしてしまった。

  

5/2fri.
イラク戦争終結が宣言された。
矛盾の数々と、その犠牲の大きさに深い溜め息。
古代戦争を見ているようだった。
終わったといっても楽観できない。

 
 


5/1thu.
連休中はずっと仕事で大変忙しい。
昨日は虫刺されが悪化して手がひどく腫れてしまったアメリカ人の女の子を
病院に連れて行った。彼女には薬局でどんな薬を買えばいいか相談されたけれど
手を見たらあまりに腫れていたので病院に行く事を勧めた。
細菌感染で腫れていたようで、抗生物質を処方してもらう。

 

4/29 tues.
今年一番の猛暑。日の出とともに夏日になる。
久々にカーメン・マクレイのアルバムを聴く。
声・発音・音程・アーティキュレーション全てに張りがあってクリアな人。
ジョー・パスのギター・ソロがとても良い。

4/28mon.
昨日の疲れが出て夕方から爆睡。
夢の中でタニア・マリアの曲が流れていた。
起きてからも続きが聴きたくなったので久々にターン・テーブルを接続。
何かジャックが足りなくて変だと思ったら、メインのアンプをmp3.com専用に
移動してスピーカーも変えたのを忘れていた。
結局直接ターン・テーブルからスピーカーに接続するがパワー不足で音が小さすぎる。
スピーカーに近づいてタニア・マリアのライヴ「WILD!」を聴く。
 

4/27sun.
早朝から庭を含めて、家の回りや道沿いまでの草取り。
ブーゲンビリアの剪定と伸びすぎたベンジャミンと黒木を伐採。
装備が甘かった為にブーゲンの棘で、手の平にやや深い傷と右手に擦り傷を作る。
夜は、ニュージーランド人のフリー・ライターと会う。
旅行記などの資料として、沖縄についての質問にいろいろ答えて欲しいという
依頼があったので引き受けていろいろな話をする。
旅行者にいろいろなインフォメーションをするのも私の仕事の範疇であるが
今年は、特に外国人旅行者が多い。インフォメーションの内容は、美味しい食べ物屋
さんから、ハブに咬まれた時の処置法まで様々。SARSの為に東南アジア旅行をキャンセル
して沖縄、八重山に来る人が増えている為に忙しい。そのフリー・ライターの人も
ベトナム行きをキャンセルしてここに来たという事だった。
香港、台湾は近いので八重山にSARSが広がるのではないかと心配していたが
今のところはまだ大丈夫なようだ。

 

4/26sat.
夜間に、私が植えた花の苗を抜いて、可愛がっていた花煙草の苗床のプランターに移して
持ち去った人がいた。朝、それを発見して『あ、また花泥棒だ。花泥棒のヤツ!』と思ったが、
『これはちょっと「花泥棒」とは違うなあ。』と思う。
私が思い浮かべる「花泥棒」は{*恋人の所に向う男性が、途中生け垣に咲く美しい花を
見つけて恋人に持っていきたくなり『すみません、一輪ください。』と心で花の主に
謝りながら、花を摘む*}という設定なのだ。何故そうなったのかは解らないが
とにかく「花泥棒」と聞けばそういうストーリーがいつも浮かぶ。
花を盗った人は、花好きな人らしく、根っこを傷つけないように、まわりの土ごと丁寧に
苗を取ってあった。
だけど、その苗は65円で買えるんだよ。盗る方がよっぽど大変だと思う。なのになぜ。
私はしばらく怒っていたが、花好き→花欲しい→苗泥棒→その人の庭に花が咲く→
その人それを見てうれしい→その人平和な気持ちになる→・・・・。
という事で、とにかくこの件はもういいにした。
それを友人に話したら「花があって、その横に丁度いい大きさのプランターがあれば
「差上げます」って言ってるようなもんだよ、きっと持っていく人からすればね。」
という意見が帰ってきた。そうだ、そう言えば、TVでプロの泥棒が細かく防犯について
説明している「為になる番組」があったっけ。泥棒に入られて「あんたの家は隙だらけだ。」と
泥棒にお説教されたという話も聞いたことがある。それを思い出して少し脱力。

4/25fri.
一晩明けて外を見たら町中葉っぱだらけで台風の被害の跡があった。
重たい鉢植えも倒れていたので、相当な強風が吹いたようだ。
この台風は、2日程前、台湾の南にあって時速4キロでゆっくり進んでいた。
熱低に変ったり台風になったりしていて、とにかく小さかったので何も注意していなかった。
ところが夕方ぐらいに急に石垣付近に迫ってきて、島を横切ったのか、
凄い暴風雨が突然始まり一時間程続いた後、ぴたっと止んだ。
みんな「さっきのは一体何なんだ?」と言っていた。
聞いた話では、アーケードの中を強風が抜けて、商品陳列棚などが吹き飛ばされたり、
陸揚げして修理中だったの船が倒れてしまい、怒っていた人もいたそうだ。
場所によっては、瞬間最大風速35、6メートルの突風が吹いたようだが、
誰もこんなことは予想していなかった。
まだ四月なのに台風なんて早すぎるし、こんな変ったパターンの台風は
珍しい。と言うか、島を横切った時点では、熱低だったと思うのだが(それも不明で)
どちらにしても1000hPaを少し切ったぐらいの勢力の台風が
あんな突風を吹かせる事があるなんて驚きだった。
台風の気圧の変化のせいでとても眠たい。
今日は快晴で車のハンドルが焼けて持てないくらいだった。


4/24thu.
仕事中、体調が悪い外国人旅行者から病院についていろいろ質問を受ける。
彼の日本語はまだ病状を説明するには充分ではなかったので、
問診時に看護婦さんが困らないように、彼の病状について説明を細かく聞き、
日本語に訳して紙に書いて渡す。
彼は同行しなければならない程の重病ではなかったようで二人連れだったし、
電子辞書も持っていたので、その方法で何とかなるはずだと思った。
たまに、依頼の電話があって病院に通訳に行く事があるが、
「薬や食べ物にアレルギーはありますか?」
「あなた、又はあなたの家族に○○病の人はいませんか?」
などの質問があり、この場合間違えたら責任重大なので、
止む得ない場合以外は、こういう種類のボランティア通訳は
お断わりする事にしている。
午後、病院から帰ってきた彼は大したことがなかったと安心した様子だった。
夕方になり急に凄い台風になった。
急いで雨戸を閉めたが、2分間くらいの間にびしょ濡れになってしまう程の
暴風雨だった。台風2号は生まれたての小さな弱い台風で、
さっきネットで見たら熱低に変っていたはずだったのに、とにかく凄かった。

 

4/23 wed.
俳画コラボレーションのページが完成。
掲載にご快諾くださった皆様には深謝しております。
どうもありがとうございました。 


4/21 mon.
コンテンツのsessionの中にコラボレーションのページを作成中。
この3、4日間は長時間絵を描いている。殆ど手作業なので時間がかかる。
絵は全部マウスで描いて、ソフトは野生の感で使っている。
この方法を私は「デジタル・エコ画法」と命名した。
マニュアルを読んで調べてテストしてみる時間がもったいないので
描きたい時は、ついつい知っている方法で進めてしまう。
簡単な操作でできる事を、ソフトの使い方を知らない為に
画面を拡大してビットを一コずつ埋めていくという、
気の遠くなるような方法でしていた時もあった。
ある日、偶然クリックした機能で凄い事ができるのを発見して
『おぉ!これは本当に素晴らしいではないか!』と感激する。
今日も一コいい機能を見つけたのでうれしい。今度使ってみよう。
実はそれらの機能がついている事は、初めから重々承知しているのだ。
それでもマニュアルを見るのが面倒なのと、その時間が惜しいので、
私は頑固に「デジタル・エコ画法」を未だに続け、
作業中の偶然の発見に喜びを感じている。
でも道具(pc)といふものはつまるところ、各々の癖などがあるので、
使ってみないと微妙なところまではわからないのだ。(これは本当)
とにかく絵を描くのはとても楽しい。

 

4/16 wed.
早朝、家の向いの駐車場の生け垣の植物に、薄い藤色の小さな花が鈴なりに
咲いているのを見つけた。花は、香水消しゴムのような、子供のお菓子のような
感じで、いかにもうすむらさき色の香りがした。鳳凰木の種を取ってきて水に浸けた。
これも育ててみようと思う。
夜、街の外れの防波堤の端っこまで犬を連れて月を見に行く。
海に向って腰掛けたら、真正面からまともに強風が吹いてきて寒いくらいだった。
眠くて大きなあくびをしたら、口の中に風が入ってきてぐるぐる回ったのが面白かった。
月はとても澄んで見えた。不思議なことに、高い雲と、低い雲の流れが全く逆だったので、
フィルムの早回しのように雲が交差して流れて見えた。私の居る高さに吹いている風は、
また違う方向からやって来ていた。
月明かりで辺りは夕方のように明るく、犬は海に入ってどんどん沖まで泳いで行くので
少し心配する。寒くないんだろうか。
潮風は身体についた余計なものを全部攫って持っていってしまうような
感じがするのでいい。去年の今ごろ浮かんだ句と同じ気分。

潮風は身体を軽くする薬 玉簾

 

4/15 tues.
肌寒いような蒸し暑さで変な天気。超ミニサイズのありんこ(これ赤アリかなぁ)が
pc付近を活発に活動中。今、キーボードの上の所が通路になっている。
甘いものなんか置いてないのに何でこんなとこまで来るんだよう。
現在仕事で他のHPをリニューアルしている為、pcのデスクトップは画像で散らかっている。
どれも今捨てられないものばかりなので仕方ないのだ。フォルダにまとめればいいのだが、
それも面倒で、すぐに見えるところにあったほうがやりやすいので、デスクトップは
トランプの神経衰弱状態に画像が散らばっているのだ。そろそろ容量が限界かもしれない。
でも書類形式で保存してCDに焼くと、壊れて開けない事がある。できればパーツを細かく
画像にしてCDに焼く方がいいみたい。

 

4/14 mon.
この間、サルスベリと白粉花と花煙草の種を買って、苗床を作って蒔いた。
サルスベリは牛乳パックに蒔いたのだが、犬に運ばれて半分程こぼれてしまった。
花煙草は、細かいので小さなプランターに蒔いたところ、それはそれは繊細で美しい芽が出てきた。
でも今朝見たら、犬にかき混ぜられていてショック。
犬は土が好きなので仕方ない。市販の腐葉土などを混ぜたので、きっと知らない土の匂いが
珍しかったんだろう。犬の手が届かないところに苗床を移動する。


4/13 sun.
イラク国立博物館が空っぽになっている映像を見て唖然とした。
博物館関係者も泣いていた。メソポタミア文明期からの出土品があのように簡単に
略奪されてしまうなんて言葉もない。元、土器の復元の仕事をしていた私としては
割れてしまった壷を見ると痛い気分である。砂の配分が多い土で焼かれた土器は、
大変脆く、欠けやすい為、扱いが大変である。轆轤を使っていない大きな壷などは
繋ぎ目をきれいに合わせるのは大変難しいのだ。そんな細かい事はこの際、もう、
どうでもいいのだが。
このような偉大な歴史的遺産をイラク国民が自ら破壊してしまったという事は悲しい
ことだ。その遺産は、イラク国民のアイデンティティーを明らかにするものである反面、
その財宝を巡る権力の為に多くの平民の血が流されてきた歴史を考えると、現在最下位
に置かれている人達にとっては、展示物でさえ憎むべき対象でもあったのだろう。
全く皮肉な事である。このイラク史の古代美術を米英軍が守ろうとしなかった事は
大変遺憾である。考古学的には前代未聞の大ダメージである。

博物館にはきっと千夜一夜物語にでてくるようなスルタンの財宝の数々も収蔵されて
いたのであろう。そういう類いの物は博物館にあるのが一番いいのだ。
以前、台湾の故宮博物館で《クラクラする危険なオーラ》を放っている展示物を
見たことがある。大工さんの墨壷の特大サイズを2つひっつけたような形をしていて
黄金が貼られており、小さな宝石がちりばめられてある謎の展示物だった。
私は取り立てて宝石好きではないが、きらきら光るその美しい展示物をガラス越しに
見ていて、吸い込まれるような気分になり
『嗚呼。。これ、とても欲しいなあ。。』と思った瞬間我に返り、使い道も解らない、
私の趣味からもほど遠い、それも博物館の展示物に対して『欲しい』という感情が
生まれた事をとても奇妙に思い、『財宝の魔力とは恐ろしいものだ。。』とつくづく思った。
日本語が達者な台湾人のおじいさんにその展示物について訊ねたところ、
それは王様が腕に抱いたり、傍らに置いたりする、権力の印を表す「如意」という
道具である事が解った。しかし、如意とは、名前が凄すぎる。
孫悟空が耳から取りだす如意棒は、きっとそのスペシャル・ヴァージョンで、聖徳太子が
持っている平たい棒は、如意がシンプルな型になった物だと思われる。(私の推測)
もともと仏具であったものが、権力者の象徴に変化したものであるらしい。
そういう類いの物は、いつの世も略奪とセットになっているので、奪われてしまうのは
仕方がないのかもしれない。私が見た「如意」も蒋介石が中国から台湾に持ち去った
ものであり、本当は北京の故宮博物館にあるべきはずの物であった。
イラクの博物館にあった遺物も、主要な物は戦争前にどこかに運び出されたの
ではないだろうか。それはきっと災いを広げながら人手に渡っていくのだろう。
だったらそんな宝はいっそ海にでも沈めてしまった方がいいのだと思う。

それよりも新鮮なお水や食料や医薬品の方が今のイラクには必要なのだ。
それにしてもあんなに何もかも壊れてしまってこれから一体どうしたらいいのだろう。



4/12sat.
イラクでは病院内部のものまで略奪されている。
医療器具など個別に盗んでも意味がないと思うのだが、
現地はそういう状態ではないのだろう。
とにかくイラク国民の為に早く電気と水と食料と医療を確保して欲しいと願う。

4/11Fri.
明後日はトライアスロン・ワールドカップが石垣で開催される。
私は毎年、香港のアスリートのサポートをしているが、
今年はSARSの為にビザが下りず、彼らは出場できない事になってしまった。
先月から香港と連絡を取りあっていろいろ段取りをしてあった。
彼らは今日来島する予定だったが予定は全てキャンセルになった。
選手の寿命はそんなに長くないのでこのような事態になった事は
選手には気の毒である。早く治まってくれればいいのだけれど。
戦争は少しづつ治まりつつあるが、これから被害状況がはっきりしてくるのだろう。
TVの映像に道端に倒れている人がどんどん映る。あー。

 

4/10thu.
夜、友達のエスニカン小料理屋さんに行く。
その友達は来月から彼女と一年程フランスに行くので、
フランスでやるストリート・パフォーマンスの和ネタを探しているのだ。
だから日本画の本や浮世絵のカラー・コピーや和柄風呂敷など、
家で眠っている和物を寄付しに行ったのだ。
彼のst.パフォーマンスのネタとして候補に上がっているのは、今のところ
「一人柔道」
「すもうマリオネット」
「白いTシャツに書道家のように達筆に『仏人』と書いて落款も押して売る」
という3つの案が出ている。大丈夫かなあ・・・。
たまたま彼の誕生日だったらしくてお店は超満員だったので、向いのバーの方に行く。
そのバーも彼のお店で手作りでとてもセンスのいい素敵な内装なのだ。
お店の女の子と話していたら、カウンターの隅でひどく混乱して落ち込んでいる
女の子がいて悩みを話し出したので、成り行き上、店の女の子2人と私の3人で
彼女の悩みを聞くことになり、みんなで解決策を考える。
とりあえず、話を聞いて、事を整理整頓して、彼女が納得できる案を打ちだす事に成功し、
彼女は納得して帰っていったので、私も帰る事にして、
最初のお店に顔を出し「バイバイ」を言いに行ったら、
今度はそっちではアフリカン・ドラムセッションになっていた。
またまた成り行き上一曲歌うことになり即興で「アフリカ風旋律誕生日を祝う歌」を
歌って帰る。何だか??思いも寄らぬ展開の数々??で内容が濃い夜だった。

4/9wed.
バグダット陥落。
TVでは喜ぶ人の映像が繰り返し放送されている。
空爆の下にはあんなに沢山人が居たんだ。
とにかく酷い爆撃が止まっているので少しはほっとする。

4/8tues.
戦争が始まってから、毎日いろいろな事を考えている。
『島で起きている自然破壊の無計画な公共工事の裏にある諸々な力関係と
今起きている戦争はほとんど同じ構造である』とか、
『あのような戦争がOKならば西表の自然なんてそりゃあ破壊されるよなあ』とか、
教育の意味やその使い道についてとか、急に逃避して
『マイルスの音は好きではないけれど、彼の音に相応しい荒廃美の風景があるなあ』
とか、『雑草という呼び方は曖昧で差別的だなあ』とか。
とにかく書き始めるときりがなく雑然としている。
本当は今そんな事よりも、あんなに人がボロボロになって
どんどん死んでいく現実がいたたまれない。
でも私はそれらについて本当に何が起きているのかなどは解っていない。
今、撃たれている銃の音を聞いた事がないように。
朝、撃たれて転がってチグリス川に落ちていくイラク人の映像を見る。
「アルジャジーラ」と「アブダビ・テレビ」の支局が攻撃され、
その後パレスチナ・ホテルのロイターのプレスが戦車に砲撃された。
真実を伝える姿勢を持って取材している優秀なジャーナリストが
どんどん死んでいる。
私は、あの酷く惨たらしい映像や写真をみんなに見てもらったほうがいいと思う。、
「これがあなたの家族だったら?」
と聞けば、全員が「戦争はいけない」と言うだろう。
「怖くて見れない」では、もう済まないところまで世界が壊れ始めている。
私もいろいろなサイトの写真を見てかなり落ち込んだし、
あんな写真を見ると本当に堪える。
でも、今どこかで本当にあんな事が起きていて、
それはいつどのような形で私達に迫ってくるかわからない。
どんな人間だって撃たれればみんなあんなふうにボロボロになるのだ。
劣化ウラン弾を落された土地で、行く場所もなく住んでいる人達は
癌の発症率が異常に高く、人間とは思えない赤ちゃんが次々に生まれている。
胎内でずっと被爆しつづけて生まれてきた赤ちゃんの写真を見て、
私はとてもショックだった。胎内という一番安心で守られているべきはずの
場所にまで武器が入り込んで、人の形を壊しているのだ。
それは、人種の絶滅を促すものなのだと思う。
もう自然保護などと言っている場合ではなく
人間の絶滅種が出てくるかもしれない。

戦争に勝っても、人に愛という感情があるかぎり、
こんな事をしたら心のどこかに大きな穴があくはずだと思う。
きっと人間はそういう生き物だと思うし思いたい。
一部の権力者の為にこんな殺戮が行われている現実を
私はしっかり見ておこうと思う。

4/7mon.
毎日戦争関係のサイトをずっとチェックしているが、
膨大な記事を読むのに大変な時間がかかる。
知ればば知るほど唖然として言葉も無い。

4/5sat.
東京の電子音楽仲間が、上京中の沖縄本島電子音楽グループと合流して
吉祥寺でお花見会を開いたらしい。ところが沖縄グループの一人がいなくなってしまい
みんなで心配していたところ、彼から(何故か)立川にいると言う電話が入った。
よく聞いたら彼はタマちゃんを見に奥多摩まで行こうとしたそうなのだ。
それで徒歩でやっと立川に着いたという連絡だったらしい。
そう言えば彼は石垣に来た時も、どんどん一人で山に向ってあてどなく
歩いていってしまったらしいから、歩くのがすきなんだろう。
それにしてもタマちゃんは海の近くの河口にいるのに何で奥多摩なんだ?
タマちゃんは鮎か?
さくらの妖気で変になっちゃったのかなあ。
沖縄本島にだって河口はあるのに彼には沖縄の野生の感は備わっていないようだ。
その後駅の自動改札機はちゃんと通り抜けられたのだろうか?
今度会ったら聞いてみよう。きっとまた爆笑するような答えを言うだろう。
彼らと話していると何て言うかだいたいこんな話ばっかりだ。
話を聞く度に、両膝カックン攻撃を受けたような気分になって
力が抜けてそのまま昼寝しそうになるのだ。全く変なヤツラなのだ。

4/3thu.
雨。花冷えで少し寒い。今年はブーゲンビリアが例年になく満開で
どこのブーゲンビリアも見事に咲いている。
年末から咲き始めて次々に咲き続けているがこの一ヶ月は特にきれいだ。
こんな年は大きな台風が来ると昔から言われている。
今日は「浜下り/はまうり」だった。日記を始めて一年が経った。早いなあ。

4/2wed.
夜、桟橋まで散歩。
人がいなくなったベンチになつこい猫がいた。
海沿に住む犬や猫は、潮風で毛が「しがしが」とした手触りになるのだが、
その猫の背中も「しがしが」としていた。
凪で、海面は油の表面のように緩やかに揺れる。
桜が見たい。
京都で発掘の仕事をしていた頃、小学校の敷地の一角にある年代物の木造の
事務所の二階で土器の復元をしていた。
土器の色付けやトレースに採光が必要なので、作業机は窓に向って配置されており、
窓の真下は小さな神社の参道だった。
春には参道の両側の桜が満開になって、目の前の窓一面が桜だった。
机の上や、石膏を溶く為に置いてある水入れの中などに花びらがたくさん舞い込んで来た。
夕方になると床に散らばった石膏や花びらを掃いて仕事が終わる。
人がいない鄙びた参道に咲く桜を今でも思い出す。

4/1tues.
夕べサンドイッチを作った時、気まぐれに泡盛の水割りを作った。
咽がかわいていたので「サンドイッチとジュース」のような
早いペースで飲んだので、心臓ドキドキのフラフラになり、
日記をアップした直後寝てしまった。朝起きたら頭痛。
お酒に弱いのにゴクゴク飲んでしまったのが失敗だった。
日中、あまりにも蒸し暑かったのでついにエアコンを起動。
夕方、沖縄三線(サンシン)を買いたいという外国人の女性の買物に同行。
夜イラク関係のサイトをチェック。
数々の民兵組織が各都市に2000〜3000人規模で存在しており、
兵士達は、普通の洋服を着用しているため、民間人と区別がつかない状態に
なっているそうだ。このために無差別な殺戮がどんどん起きるだろう。
前線の兵士から米国防長官の攻撃計画に不満が出ているらしい。
米英軍みんなで、もう止める事に決定して帰ってしまえればいいのだが。
どう考えても30℃以上の砂漠であんなに分厚い装備で一日一食、それも寝不足の
兵士の体力が持つとは思えない。みんなさぞ早く帰りたいだろう。
小さな子供が大けがをしている写真や記事を読むと本当に早く停戦する事を願う。

3/31mon.
3月は外国人の旅行者が増える。今月は仕事でも外国人の方々に
いろいろなインフォメーションをした。
一番遠くから来た人はオランダからの旅行者だった。
夜、DIYセンターにいた水色の手乗りインコに心奪われる。
籠にそっと手を入れると平気な顔で手に乗った。
まだ子供であどけなさが残っていてとても可愛かった。
かなり心を動かされたが、買わなかった。
夜中、オオコウモリがキーキー鳴く。
あったかくなるといろいろな動物が活動を始める。
蚊取り線香なしでは生きていけないくらい蚊がいるし
モニタ画面にはありんこが歩いている。
夜中、アボカドサンドイッチを作って、
久々に島(泡盛)を二杯飲んだ。

3/30sun.
早朝、庭を掃いて花に水やりをしていたら、カラスの群れ(15匹くらい)が来て
全員に鳴かれる。カラスは犬のところにも降りてきて、1メートルのところまで
近づいて挑発したり、地面すれすれに飛んで犬の尻尾を羽根で撫でてからかう。
カラスが群れるとこわいのだ。嘴も大きいし。

3/29sat.
アメリカ兵の月給は17万円+戦争手当月額6万円程だという記事を見る。
今から砂漠は日中摂氏50℃になるという。

 

3/28fri.
劣化ウラン(U238)の半減期は45憶年
半永久的に生物が生息不可能な環境を作り、
生物のDNAの構造を歪めたり破壊し続ける
劣化ウラン弾は「通常兵器」なのだそうです。
今回それがまた使用されているけれど、
46憶年かけて出来上がった地球の生態系をこんなに簡単に
壊してしまうなんて一体どういうことなんだろう。
これは惑星規模の破壊だと思う。
使用する側はきっと"natural selection"だと言うのだろう。
人間の特権意識は恐ろしい。

 

3/27thu.
人が一人いなくなってしまうという事は堪える。
もう何処にもいなくなってしまったんだと思うとその人を求める
心が迷子になってしまって悲しい。
もう話もできず笑顔も見ることができない事が決定してしまう事がショックだ。
それは希望を一つ失う事に似ている。
地球の裏側にいたって、もう一生会う事がないかもしれなくても、
どこかで生きている限りはいつかは会えるという希望が安心をくれる。
彼が生きていた時は、それが当たり前で『彼は私の希望だわ』などと思うはずもない。
けれど、亡くなってしまってはじめて人間関係で彼が支えていた大きなものに気付いた。
人は輪になって見えない光を点滅させながら交信しあっているものなんだと思う。
一人の命、存在は今さらながら大切だと思う。
希望を取り戻す方法を考えることは大切だ。
特にこれからは。

 

3/26wed.
友達の遺品を分けてもらう。
Johnny"Guitar"Watoson,Taj Mahal,Muddy Watersのレコード計4枚。

いろいろ考えてこのページにあるサイトのURL他を消す。
現在私の中は酷いダブル・スタンダード状態で、何か考える度に
矛盾がボロボロ出てしまう。
例え何かを言い切る事ができたとしても、その為に必要のない敵を増やしたり
他者を排除するような結果になってしまっては意味がないのではないだろうか。
勿論それは「depends on the situation」なのだが、この都合のいい言葉を安易に
自分の都合に合わせて使うのは危険である。
今の私の知識と文章力ではこの状態に置かれている自分がどうあるべきかを
言い切る事などできないという事だけは言い切れるという混沌とした状態。

 

3/25tues.
友達が亡くなった。
友達が死んでしまうと心にその人の分の穴ぼこがあく。
その友達がまだまだやりたいことがあった事を知っていると
よけいに悲しい。彼はまだ34才だった。
少し前に街でばったり会ったばかりだった。
突然逝ってしまったのが本当に残念だ。
「友達でいてくれてありがとう」と彼には言いたい。

 

3/24.mon.
21日、アメリカ国防長官がイラク兵や国民に投降を呼びかけているのをTVで見た。
沖縄戦で、ガマ(海沿いの洞窟)に隠れていた人達に向って、アメリカ軍が
今回のように投降を呼びかけたり、日本語のチラシを撒いたりした話を思い出す。
多くの人は自決を選んだが、その中で奇跡的に助かった人々が語った
「ガマの中での自決の様子」が書かれた本や資料を読むと、あまりの凄惨さに参ってしまう。
『どうせ死ぬのなら、身内で殺し合うよりは白旗をあげて出ていけばよかったのでは・・。
そうはいかなかったんだろうけれど・・・。』などと、いろいろ想像してみては
ひどく虚しく思ったりもした。
しかし、今回のあの記者会見を見ていて、
『ああ、私もガマにいたら出なかったかもしれない』と思った。
そう思ったけれど、ただそれだけだ。
虚しいことには何ら変わりはない。

白旗を持ったまま息絶えたイラク兵の写真を見る。

 

 

3/23.sun.
ひどい不条理が通用して戦争が起きてしまったために
意味を失うものが怒涛のように溢れている。

爆撃で亡くなった小さな子供の写真を見る。

3/22.sat.5:00a.m.
3:00a.m.中継でバグダッドへの爆撃を見る。
こんなことはいけない。
どうしてこんなことをするのだろう。
核爆弾を投下された日本が今、爆撃に手を貸す側にいる。
爆弾の閃光を見ていて心臓が震えて身体が硬くなる。
だけど私達はこんな酷いことを平気で行使できる権力が怖い。
地球の新しい秩序を作ろうとしているプロセスを見せられている。
WTCの時といい、今夜のバグダットといい、映像はまるで“show time”だ。
恐ろしいことである。

 

3/21.fri.
劣化ウラン弾の放射能汚染により生まれた奇形児のサイトと
パレスチナ人の虐殺のサイトを見る。
報道されなかったことを写真が全て語っている。

 

 

3/20.thu.


「no war」

 

 

3/18.tues.
ニュースを見ては落胆する毎日で、言葉も無い。
夜中、NHKでシャイニングを放送していた。
偶然だが同じヴィデオを先週借りてちょうど見たばかりだった。
この話は以前見たけれど、もう一度見直したくなって借りたのだった。
年末にやっていた「IT」もそうだが、S.キングのホラーは人に魔が入り込むプロセスの
中に個々のトラウマを見せる事を忘れない。
親や社会が個人の人格形成に与えた歪みが、大人になってどのように現れ
人と拘っていくのかを、ホラーの中に解りやすく取り込んでいる。
トラウマの原因は、個人、宗教、人種、国、歴史などの全てにリンクしていく。
彼の仮想敵の打ち出し方は巧みで、いろいろ考えさせられる事が多い。

 

 

3/16sun.

named square

but it's get to be

a sphere

tamasudare

 

 

 

3/15sat.1:00
-俳句スクエアの解散-
私は1999年秋にネットを始めた。
いろいろなサイトに飛んで、ある日俳句に出合った。
統一されたフォントからなるたった17文字の表現に魅かれた。
この「ネット上の統一されたフォント」というのは私にとって重要なポイントだった。
もし手書きの文字を見てしまった場合、文字の癖などから、私は勝手に作者の性格、
その他を想像してしまい純粋に観賞ができなかったと思う。
まったくつまらない統一されたデジタル・フォントで書かれた俳句が並ぶ中で、
私の胸に直接リンクする句は浮き上がって見えた。
そして俳句のサイトをいろいろ検索し「俳句スクエア」を見つけていきなり投句を始めた。
俳句に関しての知識は全く持っていなかったけれど、言葉をコーディネイトして
瞬間の気持ちや景色を17文字にするという作業は、
絵を描く事や、小さな歌のフレーズを口ずさむ事によく似ていて大変楽しかった。
私は、こんなふうに俳句をはじめ、俳句スクエアで初めて真剣に作句を始めた。
初めは17文字ではもの足りず、俳画を描いてみたり英語にしてみたり
いろいろな方法を試してみた。(そして素晴らしい事に今もそれは続いている!)
だけど今は「俳句は日本語の17文字だけで充分な絵が描けるのだ」と思っている。
これからも俳句は私の友達でいてくれる不思議な言葉の方法であると思う。
それが何の方法なのかという事は広すぎて定義できない。だから不思議な方法なのだ。
俳句スクエアにいて私はこんなにいろいろな宝物をもらった。
長い間、五島主宰にはお世話になり心から感謝しています。
主宰を初め、皆様にいろいろな機会をいただけた事、心よりお礼申しあげます。
みなさま今まで本当にどうもありがとう。
玉簾

 

 

 

 

3/14fri.
戦争には反対です。地球規模でも個人規模でも。

 

季節が変わって
星が一つ
海の向こう側に回るのを
私達はずっと見ていた

光が少し薄くなった夜
少しだけ闇が濃くなったことを知り
けものたちがよく啼くので
私達は気をつけるために
アメリカ兵からもらった
柄の長いトーチ・ライトを
逆手に持ち
柄を肩に掛けて
足元を照らしながら歩く

すると、

ときどき

 

星が残した光を見つけて

少し安心するのだ

 
まだ浅い春のジャングルで
螢の幼虫の尾は
星に代わり薄く光り
私の足の小指を照らし
ゆっくり薮に帰る
闇はその光に続き
きっと朝に繋がっているはずだ

だってまだジャングルには

炉の形に組まれた石や

鍋や飯盒が

「あの時のまま」

並んでいる

それらがまだあるうちは
新しい家財道具を
ジャングルに持ち込む訳にはいかないのだ

どんどん時間が流れて
この闇の季節が過ぎればいい

そして

幾つめかの新月の夜には
星達が集り
足元を大きく照らしてくれますように

私は今日も

せんそうはんたい

たますだれ

3月14日

 

 

3/11tues.
今飼っている犬は自分で「かんぬき」を鼻ですーと横に引いて自分で勝手に
散歩に出掛けている。彼女(犬)には私が知らない「好きな人間の友達」がいて
好きなときにその人間友達のところに自分で遊びに行くし、犬仲間の所にも遊びに行く。
時々人間の友達の車に乗り込んで、その人とドライヴに行ってしまう事もある。
ドライヴが大好きな犬なのだ。それにしても何て自由な奴なんだろうと思う。
暑い日には勝手に隣の家の水槽に浸かって身体を冷やしているので
お腹はいつもつるつるで清潔である。
彼女はとっても幸せな犬生活を送っている。
飼うというより一緒に住んでいるという感じである。
子犬の頃から通り沿いに繋いで、いろいろな人に触ってもらっているので
めったに吠えず、なつこくて穏やかな性格だ。幼稚園児の頃から付きあっていて、
現在小学一年生の特に親しい遊び友達がいて、彼らが学校から帰ってくる時間を把握しており、
子供らの声が聞えると走って出ていく。道でサッカーやボール投げしている子供に混じって
いつも遊んでいるのだ。あの犬は保育犬にぴったりだと思う。
幼稚園や保育園にいたらきっと子供の世話をよくすると思う。
 

3/10mon.
DIYセンターに行くたびに、チンチラに心奪われる。
去年、このお店でチンチラをはじめて見た。何て言うか、丸こくて
おみみも小型メガホンみたいに丸まっていて、ゆばーばみたいに
身体の1/3がおかおで、仲良し怪獣ピグモンより小さな手を、
ちょこんと台の上にのせたりしている姿は、もう死ぬほど可愛いのだ。
私は、あの高利貸のCMでチワワに魅せられるパパのように
チンチラのケージの前に座り込んでいつもしばらく見入ってしまう。
でもチンチラは
飼いづらい。ケージに入れて飼う生き物は、まめまめしく世話をしなければ
ストレスを与えてしまうだろう。生き物はできれば放し飼いして生き物が勝手に好きに
遊んでくれればと思う。チンチラに魅かれた後は立ち上がって小鳥の観察に移る。
インコはみんなでいる時の行動が一番のびのびしていて見てて楽しい。
ホームセンターは欲しいものがたくさんある。花の苗や、園芸グッズ、それから
大工用の工具いろいろ。大工仕事は大好きなので、工具売場は欲しいものだらけなのだ。
ああ、新しいパワー・ネーラーが欲しいよう。

3/8sat.
私の頭には夢の街の地図がある。
地図には山や丘やお墓区域もあって電車も走っている。
その地図のどこかの街が夢の舞台になる。
夢の道の真ん中で子供のようにわんわん泣いたことがあった。
手には涙拭き用に白い安物の薄いタオルを持っていた。
白いエプロンをして買い物籠を腕にかけたおばさんや
ハンチング帽のどっかのおじさんなど
レトロな感じの大人が私をちらっと見て行きすぎる。
私は幼児の気持ちだったけれど姿は大人のままだったから、
こんなふうな泣き方をしたら恥ずかしいなあと思いながら
やっぱり引き続き道の真ん中で悲しくて大声でわんわん泣いた。
悲しい理由は現実に思っていた事だったからはっきり覚えている。
そうだ、道は舗装されていなかった。
あれは子供の頃住んでいた静岡の市場通りの景色に似ていた。
起きた時に目の回りが濡れてすーすーして冷たいので
本当に泣いていたことに気付いた。
起きたらちょっと心がすっきりしていた。
他の人もそんなことあるのかな。

目が覚めて睫毛がぬれている朝はこどものようにお菓子をあげる 玉簾

びい玉の睫毛につらら夜明け前  玉簾 


 

3/7fri.
夜ライヴを見に行く。
「言葉の森/うたの泉」というタイトルで
友部正人さんとおおたか静流さんという
変わった組み合わせのライヴだった。私がまだまだ若い時につきあっていた音楽仲間が
友部正人が大好きだったので何度も見に行った。その頃、私は洋楽が好きで
ビートとメロディーとテクニックを追っていたのでフォークソングは全くつまらなかった。
それに詩の内容も抽象的で何だかよくわからなかった。
20年以上の時が過ぎてほんとうに久しぶりに友部さんの音楽を聞いた。
話しかけるような呟くような歌の中の詩(歌詞という感じではないのでこのように記述)が
ストレートに心に入ってきて、いろいろな景色や心が見えてとても良かった。
多分友部さんの音楽は言葉がはじまりなんだろうな。
そんなことを少しだけ友部さんとお話した。
友部さんは静かにきれいに言葉を話す人で、話している言葉も詩のようだった。
おおたかさんは以前から注目していたヴォーカリストでとても好きな人だ。
とっても華奢で小柄な体から、迫力がある声から薄いヴェールのような声まで出せる。
ヴォーカリストは沢山いていろいろなスタイルがあるけれど
私は歌とヴォイスを使い分ける彼女の方法が好きだ。
彼女の声には、日本人特有の古風さと透明感がある。民謡系が入ると、色で例えると
マット系になりがちであるが、彼女は極限まで薄い水彩画のような声も出すのだ。
歌詞がなくても声に日本人というアイデンティティーを持っているのは素晴らしい個性だと思う。
そんな事をちょっとだけおおたかさんともお話した。
ここは人が少ないのでいろいろな人と話す機会があるのがうれしい。
今晩はとてもいい音楽を聴くことができて心が豊かになった。

 

3/6 thu.
一雨ごとに緑が濃くなる。リオのカルナヴァルが終わった。
「三月の雨」という曲が好きで時々ライヴで歌う。
ボサノヴァの曲は歌詞が素敵だ。
この曲の歌詞は特に気に入っている。
Jobimはとてもいい。

 

三月の雨
Antonio Carlos Jobim

 

棒切れ、石、道のつきあたり
切り株に腰をおろして
ちょっとばかり淋しくて
硝子の欠片、生と太陽
夜、それは死
針と、糸

野原のペローパ樹、玉結びのある枝
優雅なカインガー、梨の木マチッタ
風の木、土手のとんぼがえり
底知れない謎、望もうが、望むまいが
追い風が、暖炉を吹き消し
桁から窓へ、梁のお祭り

雨が雨降り、流れるお喋り
三月の雨が、疲れを洗い流していく

足だ、地面だ、健脚のお通りだ
手には小鳥を、パチンコの小石で
鳥りが舞う、鳥が落ちる
小川が、泉が、パンの欠片に
井戸の深みで、道はおしまい

顔をしかめて、ちょっとばかり淋しくて
刺や釘や、南京玉やお伽話
魚の仕事が、銀色に光る
朝日と共に、レンガが運ばれ
薪がくべられ、蚊の攻撃はおしまい
カシャッサの瓶が、街道ばたで砕けてる
家の設計図、寝床で体を休め
ぬかるみの真ん中で故障した車
泥の中の一歩、橋だ、蛙だ、がま蛙だ
朝日に映る森

夏の終わりを告げる三月の雨

君の心に宿る、人生への誓い

棒切れにも似た蛇が、
ジョアンをジョセーを、
手のひらの刺、足の裏の傷

夏の終わりを告げる三月の雨

君の心に宿る、人生への誓い


棒切れ、
石、
道のつきあたり
切り株に腰をおろして
ちょっとばかり淋しくて

また一歩、橋だ、蛙だ、がま蛙だ

美しい地平、隔日熱

 


 

 

3/5 wed.
戦争が始まったら日本人は赤ちゃんも含めて一人当たり約4万円を軍事費として
支払う事になるそうだ。こんな意味不明な戦いに払うお金なんか一円だって持ってない。
沖縄本島で車を運転していて、軍のでっかいトラックの後ろを走る事がよくある。
ホロの中に並んで座る米兵の中に、まだあどけない顔のぶかぶかの迷彩服姿の少年を見ると
やるせない気分になる。この間3000人の米兵がフィリピンに向けて沖縄のベースから出港した。

蝌蚪だけがキャンプ・ハンセンより発てり   玉簾


3/4tues.
JCOに対する刑事裁判の論告求刑は罰金100万円なのだそうです。
まったく馬鹿げている。

 

3/3mon.
お雛さまを出して、ひなあられと桜餅をおそなえして
桃の花の代わりに今満開のブーゲンビリアを生けた。
私のお雛さまは
小さくて2人だけなのだ。
幼稚園の頃、病弱で寝込んでばかりいた私を心配して
父が買ってきてくれたのを今でも大切にしている。
それにしても雛祭なのに今日も肉体労働をしていた。
オオタニワタリは幼児が真ん中に体育座りができるぐらい巨大化しており、
ブーゲンビリアは、ドラゴンが住むお城の回りみたいにとげとげの茨を広範囲に絡め、
アリアケカズラは知恵の輪みたいに蔓がからまっていて
特大ヤブレガサは地下の茎をどんどん伸ばしており、
名前をしらない紫の花はどの鉢にも根づいて、もともと植えてあった
植物のねっこ圏をおびやかしており、
はまおもとも大きくなりすぎてひとりで広い場所を取っていて、
巨大ポトスの葉っぱは団扇の2倍の大きさになって台所や洗濯場の窓から進入
しようとしていた。はぁはぁぜいぜい。
切るのはいいけどその後片付けはやっぱり大変な作業で泣きかけだった。
蝶の幼虫用に育てていた葉っぱを間違えて切ってしまいショック。
仕方ないので切ってしまった蔓をふたたび挿し木。羽化した跡を見つけたので、
少しは蝶の子育ての役に立っているようだ。
藤の苗と桃の苗は元気をなくしてぜんぜん育っていない。
内地の植物だからここでは駄目かもしれない。地植えしても無理かなあ。
剪定していると、いつも「通りすがりの植物好き」の人に
「挿し木したいので一枝いただけませんか?」と声をかけられる。
それは地元の人だったり、旅行者だったりいろいろである。
そんな時はいつもどんどん切ってあげる。今伐採している植物達だって
もともとはいろいろな場所から一枝もらってきて根づいたものなのだ。
今日も作業中に初老のご夫婦らしき旅行者のおじいさんから
植物についていろいろ質問をされた。質問に答えていると、おじいさんは
私の答えを殆ど聞かずに次の質問に移る。私は答えるのを途中で止めて、
新しい質問に答えていると、またその途中で次の質問をした。
おじいさんが次の質問をする前に答え終わる為には5倍速くらいで喋らなければ勝てない。
おじいさんのツボがわかってきた。おじいさんは質問することが好きで、
答えにはさほど興味がないらしい。うーん、なるほど。そういうことだったのか。
外で剪定しているとこんなふうにいろんな人が話しかけてくる。
明日は道沿いの草取りをする予定。作業は、プチ林業からやっと園芸の範囲に
なってきた。筋肉痛です。

3/2sun.
昨日から植物の世話をはじめる。まず蚊と怪我防止の為に動きやすい長袖長ズボンに着替え
ブーゲンビリアの棘防止用の伐採用皮手袋と伐採用ノコギリと剪定ばさみ大、小2種、
目に木くずが入るのでサングラス、特大半透明ゴミ袋を用意してスニーカーを履き作業に
とりかかる。最近はガーデニングという言葉が浸透しているけれど、私のは「プチ林業」
と呼んだほうがぴったりくる。塀や軒に登ったり、キャタツを立てて高い枝を切る。
ブーゲンビリアは太さつまようじ大で2cmくらいの鋭い棘がいっぱいあるので、
枝が跳ね返って目に入ったらかなり危険なのだ。
気をつけていても毎回必ず棘で怪我をする。二日目の今日、怪我は4箇所。
これはまだ少ない方である。とにかくあの固くて鋭い針のような棘はすごく痛いのだ。
花はきれいなんだけどなあ。ブーゲンもハイビスカスも豆の木もみんな2階の窓くらいの
高さの木になって、好き放題枝を伸ばしているので本当に大仕事なのだ。
がじゅまるの根っこだってお風呂場のタイルの間から進入して来ているし。
伐採しなかったら植物の根っこが家中を囲んで根っこでコンクリート部分をぱりんと
割ってしまうので、伐採は真剣にしなければならない。
久々に肉体労働をして身体が芯から疲れて健康的にだるい。