tiny notes in a little time

photo/tamasudare

 

10/30.thu.

星が美しい。

シリウスがキラキラ光っている。

久しぶりにミシンをかけた。

 

 

10/27.mon.

秋の地を打つて地層を起こすなり  玉簾

 

うるべで電子音楽+ギター+太鼓のライヴがあった。
お客さんの殆どがアフリカン・ドラムのメンバーだったので
セッションタイムになると太鼓の数がどんどん増えていった。
グラスやボトルなど、音が鳴るものを楽器にして全員参加状態。
人数が多いと楽しい。一曲即興でヴォイスで参加する。
電子音楽担当のやすくんは、ノート・パソコンと
ミキサーの前に静かに座っていろいろな音を仕掛ける。
ときどきわざとハウリングさせたりして、アフリカン・ドラムと
対照的なスタイルだったが、なかなかよく合っていて良かった。
みんなが楽しんでいていい雰囲気のライヴだった。

 

10/26.sun.

臥待のまだ頬杖の中に居り  玉簾

 

10/24.fri.
バースデイ・チケットで来月の大阪行きのチケットを買う。
申し込みが遅かったので、出発は夕方で帰りは早朝の便しか取れなかった。
バースデイ・チケットは本当に安い。今まで買っていた値段は
一体何だったんだろうと思う。
京都の母と大阪の友達に会って、空いた時間は街をぶらぶらしたり
美術館めぐりでもしようと思う。
私のお目当てのお店は、四条富小路か堺町のどこかにある、
着物を縫っているお店である。そのお店は看板も出ていないので
行ってみなければどこにあるのかわからない。
木造家屋の作業場の店先に着物の裁ち残りの布を巾着などに加工
して売っているのである。
縫製がうつくしく、値段も安い。
裁ち残りの布には、いろいろなヴァリエーションがあって
とてもいい柄の端切が安価で買える。
あと、野村テイラーにも行きたい。
錦に行って、鞠麩を買って、清水の錦絵屋さんにも行きたい。
でも買物をする前に、まず美術館に行くのが良い。
いつも美術館の素晴らしい作品の数々を見ただけで、
100%満足してしまうのでその後には、購入意欲が極端に下るのである。
だから無駄な買物をしなくてすむのだ。
前回行ったときに買ったのは、
牛若丸の骨董のお皿を一枚。
ぜんぜん大したものではないけれど、柄が珍しくてかわいいので
これで満足だった。

 

10/23.thu.
仕事場のHPは90%完成した。
今日は英語のサイトを作製。
時々、ネットカフェに行ってwindowsのIEのブラウザでチェックする。
ネットカフェの回線は速くていいなあ。
でも液晶画面は、全体的に暗すぎる。
自分のpcで見えているのと違うところが多いのでいろいろ補正する。
サイトを作製するのは面白い。

10/22.wed.
庭のホウライカガミにオオゴマダラの幼虫を15匹発見。
どうやら、私が植えたホウライカガミは、オオゴマダラのお母さん達の
間で新しい離乳食ポイントとしてブレイクし始めているようだ。
♪ひさーびーさーに小さくガッツポーズ♪(^^)
ここまで来るのに5年?
(もしかして6年かも)くらいかかった。

 

10/21.tues.
一昨日書いた、日記の中での
>>もうサグラダ・ファミリア聖堂そのものが、宗教のジャンルを
超えてしまっていて、聖堂そのものに宗教全てがあるのではないかと思う。
という所、自分で書いておきながらどうもひっかかる。
無宗教の私には、今でもその感はぬぐえないのだが、
私の勝手な解釈はカソリック教徒からすればとんでもない事かもしれない。
ガウディが、信者としてカソリックに対してどのように思っていたのかについては、
もう今では推し量る事は不可能であるが、彼の自然観には深く共感できる。
しかし、信者ではない私にはカソリックの宗教観を取り込んだ作品の理解は難しい。
聖堂は作品と呼ぶよりはworkと呼んだほうが私には理解しやすい。
あの建物は作品という観点で捉えるものではないように思うのだ。
考えるうちに「10cm四方でいいからタイル貼りをさせてもらいたい。」
などといういじましい事を書いた自分が恥ずかしくなってきた。
こういう軽薄な考えが安易に加わるとworkの統一感が壊れはじめるのだ。
反省。 

10/20.mon.
サシバの渡りを見にバンナ岳頂上付近の展望台に行く。
「サシバは山の尾根を伝って南下してくる」というのを聞いて、
ずっと北側の山を見ていた。
今日は風が強く、半袖では寒いくらいだったけれど
山では、まだ蝉が鳴いていた。
燕と蜻蛉が風にのってすいすい回りながら飛んでいた。
他に、カラスアゲハ、ベニモンアゲハ、シジミチョウなど
いろいろな蝶を見る。
それから、あのよく喋る鳥〈多分ヒヨドリ〉もいた。
二時間も待ったのに、サシバを見ることはできなかった。
昨日までに2千羽の飛来を確認したと新聞に書いてあったので
少し遅れて飛び立ったグループの飛来を期待していたんだけどなあ。
もう全員、石垣を通過してしまったのかもしれない。
何千もの鷹が群れで飛んでくるなんてきっと凄い光景だと思う。
鷹は夜眠るのによさそうな枝を探しながらゆっくり旋回して、
少しづつ森に降りていく。

鷹の目の枝の撓りを読んでをり  玉簾

 

 

10/19.sun.
pcの調子が悪い。
昨日は一日起動しなかった。
私のOSはmac8.6である。powerはあまりないが、
マシン自体は、とても安定していて余程酷使しないかぎりは
フリーズする事はあまりなかった。
今朝、やっと起動したので今のうちに日記をアップしておこう。
そろそろ限界かなあ。でもまだまだ使えそうな感じなんだけれど。

夜、新日曜美術館で、ガウディの特集を見て唯々うっとりする。
彼の造形へのポリシーの基本になった「自然が持つバランスの合理性」
をはじめ、デザイン、建築方法や職人への指示に関する計らいやその方法、
そして自分が生きている間に完成しなくても良いという姿勢まで、
全てに無駄がなく素晴らしい。あの様に無駄だらけに見える建物が
実は、そのように無駄なく設計されているという事に感銘を受けた。
もうサグラダ・ファミリア聖堂そのものが、宗教のジャンルを
超えてしまっていて、聖堂そのものに宗教全てがあるのではないかと思う。
まるで、鍾乳石が少しづつ地に届こうとするような、気の遠くなる
建築作業をするうちに、それぞれの「我/ego」が、砕かれ、砂粒になり、
やがて「無」に帰していくように思う。
彼の綿密さは天才的であるが、彼の根本的な考え方である
〈自然が作りだす無駄のないライフ・サークルの造形化〉が、
この信じられないような理想的な流れを作りだしたのであろう。
彼はその流れのどこまでシミュレイトし得ていたのだろうか。
そしてこの聖堂の建築が寄付金で行われているという事も驚異的である。
サグラダ・ファミリア聖堂はガウディの作品であり、又、建築に関わ
った全ての人々の作品でもある。このように多くの人手が入っている
にも関らず、全く崩れる事がない統一感を後世にまで伝え続け、
未だに彼の意思を継ぐ事を志願する人が絶たない事も素晴らしい。
表現者として、彼のような姿勢は私にとって理想である。
もし、できるなら、私も10cm四方でいいからタイル貼りをさせて
もらいたい。
実は、自分の手で建物を建てる事は、到底無理な私の夢の一つである。
それにしても、あの聖堂の壁面に、かたつむりや椰子の葉が
彫込んであるなんて知らなかった。
ああ、スペインに行きたいなあ。

 

10/14.mon.
ゆうぞうが帰った。
夕べ夜なべをして、ミニ写真集を作ったので、一日眠かった。
今日は、涼しくていい。
それにしても仕事が忙しいよう。
仕事場のサイトの写真集がやっと完成した。

10/13.sun.
近所に、石垣で最後の鍛冶屋さんがある。
その鍛冶屋さんの作業場はまるっきり昔のままで、
凄くカッコイイ。奥には鞴まである。
ゆうぞうと一緒に鍛冶屋さんを見学に行く。
鍛冶屋さん内のゆうぞうの写真を18枚程写した。
出来上がった写真は、どれも思った通りに撮れていた。
いつもは、フィルム1本の中で、見たままに撮れているのが
3枚あれば上出来なのだが、ゆうぞうを写すと、彼だけで
充分絵になってしまうのだ。
『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のような
感じに撮れていた。
私は、こんな時じゃないと人を撮らないのだが、
本当は、人間を撮るのは好きなんだ♪

写真をカラーコピーでB5サイズに拡大して、
黒い画用紙に貼り、即席写真集を作ってお土産にあげた。
なかなかいい感じの手作りミニ写真集が出来上がった。
コンビニのカラーコピーの解像度と色の分解のバランスの悪さが
逆に東南アジアの印刷物のような風合いが出て良かった。

10/12.sun.
ゆうぞうが離島の旅から帰ってきた。
ゆうぞうは、いつもギターやカリンバを持っている。
“What a wonderful world”をカリンバの伴奏で
歌ってくれた。何よりもうれしいプレゼントだった。

 
月の道‘ゆんた、ゆんた’と歌ひけり  玉簾

これはゆうぞう親子にプレゼントした句なので、
意味不明ですが、彼等にはよくわかる句なのでコレデイイノです。


10/11.sat.
アリゾナ・ドリームを見てから、普段心のカーテンの裏側で眠っている
いろいろなblueを起こされたような気分だ。
そういう意味で私にとってこの作品は“not so good”なのだ。
どちらにしても、カーテンのすぐ裏で眠っているblueなのだから
些細な事ですぐに起きてしまうようなものなのだけれど。
こんな気分なのでこの映画の客観的な感想が書きづらい。
ストーリーも登場人物も、現実離れした人ばかりだけれど
全員、今まで会った事がある人に似ている。
登場人物の精神状態をうまくあらわしていて、
そこがとても哀しく切ない。
魚を使って現実に夢を絡めていくところがとても上手い。
こういう質の良いヨーロピアンテイストの
シニカル・コメディーは好きだ。
少しロマンティックが入っている作品は特に良い。
音楽はとても映像に合っていて気に入った。

 

10/10.fri.
毎日目が回りそうに忙しい。
今週は、ゆうぞうに続いて、いろいろな知り合いが来た。
ゆうぞう以外は、みんな石垣に旅行に来ている間に知り合った人達だけど、
彼等は、ほぼ毎年、もしくは年に2度程来るので、
そんなに遠い所の人のような気がしない。
野鳥の会の知り合いが来ているので、一緒に出掛けたいけれど
今回は忙しくて、みんなと遊べない。

【アリゾナ・ドリーム】を見る。
感想を一言で言えば、
“not so bad but not so good・・・・”だなあ。
作風は嫌いではないのだが、このストーリーの中に、
時々フラッシュバックする事があって哀しくなってしまうのだ。
流れている空気が、そこなしの穴に続くようで恐い。
自然の景が大きい所に身を置くと、自分の精神と夢と自然が混ざって
現実との境目がよくわからなくなることがある。
他の人はどうなんだろうと、見回すと、
みんな酷くリアルで不確かで時にはとても弱い。
道に迷ってしまった人が目の前にいても
誰にも助けられないことがある。
その人は、確かに目の前にいたのだけれども。
働かないで生きている贅沢な人の話だと言えばそれも正しい。
とても複雑な気分になる話。

10/9.thu.
今晩の月は鏡のよう。
ズームレンズでのぞいたら月の地図まで鮮明に見えた。
今晩の月光に音をつけるとすれば
竹林の耳元で聴く笹の葉が擦れ合う音が良い。
「しゃらしゃらしゃんしゃん鈴つけた」の
「しゃらしゃらしゃんしゃん」でもいい。
頭の奥の方で聴く凛とした音。

月光の薄く鋭き音ならむ  玉簾

 

 

10/8.wed.
月が美しい。
薄雲に囲まれて
黒真珠のような静かな光。

10/7.tues.
仕事は、なかなか休めそうにない。
今日は一日、仕事のサイトの作製をする。
来月は、どこかに遊びに行けるかなあ。

 

10/6.mon.
ゆうぞうにもらったCDをゆっくり聴く。

さようならお日様
こんばんはお月さん

ナミ&ユキ:宮里奈美子・比屋根幸乃


WANI-KUMA MUSIC

ナミさん、ユキさんの張りとつやのある歌声が心地よい。ゆうぞうが作詞、作曲した三曲も、優しくてシンプルで素敵だ。ゆうぞうは、彼女達には、そんなにたくさんの飾りはいらない事を良く知っている。

 

 

GOTO YOZO BLUES SHOW
Featuaring
SHIZUSAWA“CAMWRIYA”MAKI


M&I MUSIC

ゆうぞうの声は、ころんとまろやか。
ナット・キング・コールやオスカー・ピーターソンの声を思い出す。小粋で、小気味よいフレーズをさらりとしたビート感で無理なく歌う。そして彼以外には、できない「大阪トーキング・スタイル」のノリの良さが絶品。何と言っても歌ってる本人がとにかく楽しそうなのがいい。
静沢“カメリヤ”真紀さんのシャープなギターも良い感じ。
ギターの石田雄一さんとドラムスの福原“ドリーム”稔のコンビネーションもばっちり決まっています。
ベースの、森“とんかつ”巧美さんも美味しく溶け込んでいて、みんなの仲良しぶりがウラヤマシイ一枚。

実は、石田くんとみのるとは、大昔、アフリカン・バンドで一緒だった。リンガラを大阪テイストで味付けしたバンドで全員で10人程いた大所帯で、私はコーラス担当だった。久しぶりに2人の音が聴けた事も大変うれしい。

 

 

10/5.sun.
お昼、突然「
ゆうぞう」が尋ねてきた。
休みが取れたので、息子さんと二人で来たそうなのだ。
ゆうぞうは以前も突然、ギターを弾きながら玄関に登場した。
彼は、大阪時代の音楽友達で、今でも立派にミュージシャンとして
活動中なのだ。CDを二枚お土産にもらう。
一枚は、元、「ネーネーズ」の二人とのユニットで、
もう一枚は、ゆうぞうとギタリストまきちゃんのブルース特集。
ゆうぞうの歌はとっても素敵だ。ゆうぞうは一人で、ヴォーカル、
パーカッション、ハーモニカ、ギター、それに、元、ネーネーズの
CDでは、プロデュースと、何とジャケットのイラストまで手掛けている。
恒例の
ブルースカーニバルの司会は、もう16年も続けているし、
本当に多才な人なのだ。
ブルースのCDのレコーディングメンバーは、みんなあの頃の懐かしい
仲間ばかりだ。
「ルート66」には歌に和訳説明と河内音頭が混ざっていて笑った。
メンバーはみんなバンド以外の仕事で、菊水丸と一緒にやぐらの上で
河内音頭を演奏してた仲間だった。
一度、近所の盆踊りに行ったら、バンドの友達がやぐらでギターを
弾いていて笑った。河内音頭や江州音頭
(ごうしゅう)音頭の達人は、
盆踊りシーズンは一晩でいろいろなやぐらをハシゴして回るのだ。
江州音頭の達人のおっちゃんは
J.B.みたいでカッコ良かった。
ああ、でもうれしいなあ。CDジャケットのみんなはとっても元気そう!
ゆうぞうを検索していて知り合いの写真を沢山見つけた。
カオルちゃん(カオリーニョ・藤原)も見つけた。
は、とてもムーディアスで素敵なボザノヴァを歌う人で
一度だけ、誘っていただいて一緒にライヴをしたことがある。
最近「演歌ボサノバ」楽団もやっているそうなのだが、きいてみたい。
昔、彼がやっていたお店には、プロレスのリングがあった。
狭いカウンターに5人座れる民族音楽マニア喫茶店だった。
(たまに、試合もやっていたそうだ。)
有山さんは、最近本当にフルートを吹いているらしい。
以前、清志郎さんと二人で「フルートを吹く会」を結成したとか
言ってたっけ。みんな相変わらずだなあ。とっても懐かしい。
ああ、みんなに会いたいなあ。
ゆうぞうは、そのまま西表に行くと言うので、手袋と海用の靴を
貸してあげた。彼はとってもいいお父さんになっていて、
幸せそうで、見ていてうれしくなる。

10/4.sat.
剪定&伐採作業は、着々と進んでいる。
最近涼しいので、庭作業がとても楽しい。
一度やり始めると止めたくなくなる程楽しい。
今日もいろいろな発見をした。
虫とか、えーと、なんだったっけ。
そうそう、梅雨にあちこちに蒔いた白粉花が満開で良かったとか、
ミラノやアフリカマイマイを接写したり。
ミラノは、赤と黒のモダンなイタリアン柄の虫で、
名前がわからないので、取りあえずミラノと呼んでいるのだ。
それから、ホウライカガミが育っていて、オオゴマダラの
幼虫が2匹食事をしていた。今度こそ黄金の蛹を見つけられそうだ。
腕は、蚊に刺され、ブーゲンビリアの棘で引っ掻き
また傷だらけになってしまった。
それにしても土と緑の匂いは本当にいろいろな効き目が
あるんだなあとまたまた思う。

10/3.fri.
クロッキー帳を買いに行ったついでに本を見たら
欲しい本が3冊もあった。
その中の一冊は、「岡本太郎の沖縄」という写真集。
以前から買おうと思っていた本だったので迷わず買う。
あと、オールカラーの美術書と石垣の蝶などの特集を
している雑誌他も購入。
朝からすごい散財をしてしまった。
本って欲しいと迷わず買ってしまうので困ります。
しかし岡本太郎の写真集は、今まで見たどの写真集よりも凄い。
老婆の顔も、柔らかくカーヴした石垣の道も、子供の顔も
全てが美しく、神様がそこここにいたころの島の雰囲気を
見事に写している。新聞社が取った古い記録写真的なものは、
多く見るが、彼の写真は、人の表情や、暮らしの中の精神的な
部分をリアルに写し込んでいるのだ。
復帰前の沖縄に入って、よくあんな大胆な写真を取ることが
できたものだと思う。
彼の美術作品は、そんなに好きではないけれどこの本は凄いと思う。
そういえば、今日、西表から来た三才の男の子と少し遊んだ。
その子の動作と言葉のかわいいこと。
離島の子供は、石垣の子供よりピュアな雰囲気がある。

10/2.thu.

台風で傷んだブーゲンビリアが、また花をつけはじめた。
蔓類はあまりにもからまりすぎだったので、思い切って切ってしまった。
きっと今から雨の季節だから、みんなすぐに咲き揃うだろう。

10/1.wed.
夕方、剪定作業をする。
夜、京都から来た「ママ!ミルク」のライヴを見る。
アコーディオンというのは、何て官能的な楽器なんだろう。
黒いアンティークなボディと、セルロイドの鍵盤。
蛇腹が開く時に現れる紅色がうねって、楽器が呼吸をしているようだ。
彼女の指は足の長い柔らかい土蜘蛛のよう。
蜘蛛を嫌う人は多いが、私は、華奢な指で自由自在に鍵盤を
弾く女性の指を見るといつもそう思う。
私にとって、そのイメージはとても素敵な事である。
意思を持った生き物のように指が動くのが美しい。
ウッド・ベースは弓で隙間が無い低音を広げる。
彼女の音がどこにでも着地できるように。
多様な表現が、全く良いバランスで存在していて静かに楽しめる
ステージだった。
「日本のワルツ」という曲が一番景色が見えて良かった。
インストゥルメンタルの場合、曲のタイトルはイマジネーションの
扉を開ける鍵の役割が大きい。