2006/04/11 (火)

昨晩から大雨。
お昼頃まで雷雨が続いてるというのに,こんな日に限って長距離ドライブをせざるを得ないという状況がキツイです。まぁ仕事だからしょうがないけど。 (^^ゞ

今日親父の見舞いに行けなかったのだけども,母の話によるととても汗をかいていて,やたらと身体が冷たかったそうな。
体温測ってみると 35.1℃ という信じられない温度。汗を何度も拭いてやっていると平熱にまで上がってきたから良かったものの,ちょっとびっくりしたそうな。

…親父,どうなるんだろう。

勉強メモ
SCPストレージネットワーク管理 1章「SANとNAS」終了。
2章「ファイバチャンネルアーキテクチャ」途中 2.1「ファイバチャンネル概論」まで。

2006/04/12 (水)

今日も見舞いに行けなかった。
姉の話では,見るたびに痩せてる気がするとの事。なんだかね,脅えてる感じなんだよね,親父。

仕事の方では,何だか今度は RHCE を取りに行け!とか言われそうな雰囲気。折角ストレージネットワークの勉強始めたのに…。

勉強メモ
SCPストレージネットワーク管理 2章「ファイバチャンネルアーキテクチャ」途中 2.2「ファイバチャンネルポート」まで。

2006/04/13 (木)

RHCE の件が気になってしょうがない (^^ゞ
「行け!」と言われれば行く気はあるのだけど,講習&試験の費用が30万,滞在費に交通費を含めれば40万を越える受験費用がかかるため,会社が出すかなぁ?ちょっと疑問です。
以前,こいつを取得してきた同僚がいたのだけど彼はもう辞めちゃったし,これだけ金かけて辞められたら…とかマイナスな考えしかしなさそうなんだよねぇ,うちの経営陣。

空き時間に書店に寄って,マンガを3冊買ってきました。
ファイブスター物語の最新刊,やっと出たという感じでしょうか。でもさ,この作品,本当にいつか完結するのだろうか?(笑)
あと2冊は店頭で見て何となく買った「金魚屋古書店出納帳」の上下巻。こいつが結構面白く,マンガ好きな私としてはかなりにこやかに読んでおりました。
そうとうなマンガオタクじゃなきゃ書けない作品だなぁとか思いました。

親父の方ですが,今日再度 CT を撮って,外科・内科の先生方で話をしたらしい。 十二指腸潰瘍もあるとか判ったそうですが,貧血なため,今日は輸血をしたそうです。
色んな病気が見つかっておりますが,家族として辛いのは,食事をする元気が無くて見るたびに痩せてきて,寝返りもうてない程に筋力も弱り,何より本人の気力まで衰えているのが一番ですね。

   

2006/04/15 (土)

結構日数が経ってからこの日の日記を書いているので,色々記憶が交錯してますがご勘弁を。

親父の容態が急変しました。
朝9時過ぎに「意識が混濁してます。すぐに来て下さい」と病院から連絡があり駆けつけてみると,真っ青になって目を見開き,ピクリともしないんです。
血圧は低下し,自発呼吸も危ういということで,送管して呼吸をさせている状態でした。
程なくCTにて確認したところ,腹部大動脈瘤が破裂してました。

急遽心臓外科の先生から説明を受け,「破裂部位の血管を人工血管に付け替えます。肝硬変があるので出血が止まらない可能性があり,助かる見込みは非常に少ない。それでも手術しますか?」と聞かれたものの,即答で「1% でも可能性があるのならお願いします」。

それから手術は8時間にも及び,途中,手術室から出てきた先生から「破裂部の血管付け替えは終わったのだけど,切り開いている箇所からの出血が止まらない。輸血用の血も足りなくなってきたので,病院の職員から新鮮な血を取って入れたいのだけど許可してもらえますか?」と聞かれたのだけども,親父の兄弟や親類が集まってきてたので,我々からも取って欲しいとお願いして取ってもらいました。
最終的には11人分の血を入れたそうです。

最初に血を採ってもらったのは私。献血なんて今までしたこと無かったので良く判らないけど,採ってる人が「450ですけど,もういいですかね?」とか言ってるのが聞こえたんですが,これって多いのかな?ふらついたりもしなかったし,全く平気ではあったのだけど…。

手術が終わって,ICUに父が運ばれた後すぐに会えたのですが,脈は100を切り,血圧は最高が80台,自発呼吸は全くしておらず血は止まっていませんでした。
お医者さんも困った顔をしながら説明してましたが,今となって考えてみると,とても辛い仕事ですねぇ。

2006/04/16 (日)

午前3時21分。親父は亡くなりました。
心拍数が 0 になるまで, ずっと声をかけ続けていたのだけど,二度と応えてはくれなかった。
己の悲しさと悔しさで崩れ落ちそうにもなったけれど,母や二人の姉の悲しみが強過ぎて,ひときわ母が心配でした。 「絶対ダメだ!行かないで!」 と言いながら泣き崩れる母がとても…。

葬儀屋に連絡して一旦自宅に戻り,最近買った親父の礼服を準備して看護士さんに着替えをお願いして外で待っていたら,ネクタイを結んでやって欲しいと言われ,私だけ中に入って結んでやったんですが,シャツの第一ボタンが全然留められないんですわ。
血が溜まっているんでしょうね,入院してほっそりし始めていたのに首周りが変に腫れてるんですよ。
何とか巻いてやりましたが,その時に抱き上げた親父の身体の冷たい事。「あぁ,本当に死んだのかぁ」と実感した瞬間でした。

そうこうしているうちに葬儀屋さんが迎えに来てくれたので,一睡もせずに自宅へ戻り,祭壇やら葬儀やらの打ち合わせをしてました。
「自分がしっかりしなきゃ」そう思いつつ対応していったつもりでしたが,微妙に記憶が曖昧だったりします。
母の「告別式のように大げさにはやりたくない。身内だけでひっそりと一連の式を行なえればいいと言っていた」という言葉に従い,新聞広告もせず,一般焼香の時間も決めずにする事に。
告別式はやるべきだろうと考えたのだけど,両親の意見ですからね。強く反対とは言えませんし。

その後は色々準備やら,手が空けば祭壇の横に座って,訃報を聞き駆けつけて来てくれた方々に状況を説明したりしてましたが,夜に来てくれた私の親友の顔を見た途端,それまで堪えていたものが溢れてきて,声をあげて泣いてしまいました。
いやぁ,友人だけはダメですね (^^ゞ

2006/04/17 (月)

一晩経ち,今日は出棺,火葬,納骨を行ないました。

私の段取りの悪さで,火葬場までの親類の乗る車が無かったり,香典返しを渡しそびれた人が居たりもしましたが,親父の兄弟やその子供達の協力のおかげで,何とか無事に納骨まで終える事ができました。

また親類縁者のみならず,会社の社長や同僚,楽団の仲間,高校時代の同級生達など,私の知人友人が何人も駆けつけて来てくれて,私を気遣ってくれたのが大きな支えとなりました。

印象に残っているのは火葬場での釜に火を入れる瞬間です。
残された家族のうち,成人した男性は私一人ですので,そのボタンを押すのは私の役目だろうと覚悟はしていたものの,辛かったぁ。
あのボタンの軽い事…たったあれだけで親父の生前の姿には,もう二度と会えなくなるのですね。心と身体はもう別になっているのだと自分自身に言い聞かせてはいたのだけど,あの感触だけはしばらく忘れられないでしょう。

2006/04/18 (火)

内地から駆けつけてきてくれていた,長女とその旦那さん,娘,旦那さんのお父さんが今日のお昼に戻るという事だったので,墓まで一緒に行ってから空港まで送ってきました。
ちょっとだけ時間があったのでニライカナイ橋とかへ連れて行ったのだけど,雲が多く,また黄砂の影響なのか水平線がもやっていて,イマイチだったのが残念でした。

午後は市役所等へ色々な手続きをしに行ったのだけど,事務的なものではあるけど結構面倒なものですね。
死亡届は先に葬儀屋さんが出してくれてた(そうしないと火葬許可証が出ない)のだけど,他にもあるんですわ。
 ・世帯主変更届
 ・葬祭費の請求
というのが市民課での手続きでした。

親父は以前両脚を事故で失い,身体障害者手帳を持っていたのでその返還手続きもしてきました。
その手帳には,事故があって沖縄に戻ってきてからすぐの写真が貼られていたので,その写真だけは返してもらいましたが,とても若々しい父の姿はカッコ良いですよぉ。年齢的には今の私の歳ですね (^-^)

国民年金課へ行くように言われたので行ってみたところ,「これは社会保険事務所ですね」と言われてそちらへ移動したんですけど,かなり混んでいて1時間以上待たされ,時間潰すのに苦労しました。後から聞いた話では午前中の方が空いてるらしいですね。行く事になってしまった方はご参考下さい。
ここでは遺族年金の申請に必要な書類等を教えてもらいました。提出書類申請や手続きはそれほど急がなくても良いそうなので,とりあえず後日行なう事に。

2006/04/19 (水)

3月分の入院・治療費の請求が以前から来ておりまして 20 日が期限だったので,そいつの精算をしつつお世話になった外科病棟,ICU の看護士さん達にご挨拶をしに行きました。 ICU の方は気軽に顔出したりできないので,外科病棟の看護士さんに言伝を頼んだだけになりましたがね。
ん?いや,お茶菓子は持って行ったから,そいつも渡ってるはずですな。本来はこういうのは受け取らないと言っていたのですけど,父からの感謝の気持ちですので,少々無理にではありましたが受け取ってもらったんです。

外科病棟の看護士長さん(婦長さん?)から「立派なお父様でしたね。誇りに思って下さいね」と言ってくれたのが嬉しかったです。
また,母は 10 何年もお世話になった内科の先生へ,ちょっとだけ挨拶をしに行ったそうです。「病棟に上がってみたら居なくなってたから,ビックリしたよ」ととても残念そうにしていたそうです。

医者とは言え万能では無い。その中でも全力を尽くして親父の病気に向かってくれた方々に,少しは感謝の意を示せただろうか。

そうそう,昨日も墓に行きましたが,今日はそのまま母と一緒に行きました。
何でも初七日までは毎日行かなきゃならないそうなんですが,これが結構離れた場所にありまして大変だったりします。
内地とは違い,墓に行って良い時期が決まっているここ沖縄で,これだけ連日墓に行かなきゃならない日があるってのも珍しいものですね。

2006/04/20 (木)

今日は一人で墓へ。線香が消えるまでは居なきゃいけないんで,タバコ吸いながら時間を潰していたんだけど,結構ああいう風にのんびりするのも悪くないですね。

社保の扶養家族申請用紙を取りに,久しぶりに会社へ行ってみました。
終業時間を過ぎていたからか,年度変わりの忙しさが一段落ついたからなのか,社に残ってる人間が思ったより少なかったですね。
仕事の雰囲気にちょっと触れられたら,変な緊張感を感じました。来週からは復帰するんで,さてどうなることやら。

帰りに書店に寄って,マンガを4冊買ってきました。
以前ご紹介した芳崎せいむさんの「金魚屋古書店出納帳」の続編にあたる「金魚屋古書店 1 〜 3 巻」と,古屋兎丸という方の「ハピネス」という短編集。
「金魚屋…」の方は相変わらず面白かった。そう言えば「…出納帳」のちょいと大きな版が少年画報社から出ているのを見かけたけど,元々はそっちのものだったのかな。それで小学館で続編を書いているという事なんだろうか。
もう一つ 「ハピネス」の方はイマイチでした。何と言うか…作者の表現したい事ってのは判るんだけど,それを表現するだけの力がまだ無いという感じかなぁ。絵もストーリー展開も。

     

2006/04/21 (金)

今日も一人で墓へ行ったのだけど,あまりにも良い天気だったのでカメラ持っていきました。
それ程時間に余裕がある訳じゃないんで,墓の近くしか周れてませんが,最近写真UPしてないし…(^^ゞ

南城市佐敷・うちの墓からの風景


こんな感じの場所にあります。周りはほとんど畑。


この花って,名前何?気になったんだけど,わかんねぇ (^^ゞ


望遠レンズ大活躍でした。こういうのが撮りたくて買ったんだから使わなきゃね。

南城市知念・安座間港〜あざまさんさんビーチ

休日には混んでてとても行く気にならない安座間港とさんさんビーチ,初めて行ってみました。
先ずは安座間港。

結構綺麗な色が出てますね。


あざまさんさんビーチと,そのすぐ横から出る船。多分,久高島か無人島のコマカ島に行く船だと思います。

南城市知念・知念岬・その2


知念岬からの風景です。1枚目の写真,結構気に入ったのでTopページの写真にしました。


一枚目がコマカ島です。2枚目は…ワカンネェけど,白砂だけの島。

その後は明日の準備。明日は親父の初七日です。

2006/04/22 (土)

親父の初七日です。
朝もはよから餅やらカマボコやらを買いに行き,それから墓へ。
墓に初七日の案内をして家に戻ってからはずっと座って来てくれたお客さんと話をしてたんだけど,あれ程長時間座ってなきゃいけないのも結構キツイですね。
親父は脚が無かったから,ずっと座椅子に座っていた訳だけど,尻や腰が痛くてしょうがなかっただろうなぁ。気疲れもすごかったし。

2006/04/23 (日)

初七日も終わったと言う事で,葬儀屋さんが祭壇やら飾り付けを片付けに来てました。
生花が片付けられ,祭壇も簡易的で小さなものに変えて,天幕の飾り付けも取ってもらいました。
布の飾り付けは49日までそのままの方が良いのではないかとか言われたんですけど,どうもああいう飾り付けをされているよりもできるだけ普段のうちに近い方が親父の意思にも合う気がしたし,また親父も「家に帰ってきた」と思えるんじゃないかと思ったのでねぇ。

祭壇が片付けられ,日常の状態にちょっと近付いたんですが,親父が居ない。
何だか妙に家が広く感じられて…嫌なものですね。

それにしても,もう1週間経ったんだなぁ。まだイマイチ実感湧かないです。居ないのかぁ。

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