仏立寺の概要

◎建立 昭和三十三年三月

◎旧場所 那覇市字安里301番地   国道330号バイパスに面した所
那覇新都心天久地区内に新本堂建築の為による仏立寺仮道場先 那覇市字古島210―1

◎建立に至る由縁

仏立寺は、昭和二十九年、鹿児島本薫寺植田日因上人(代表役員名植田淳明)が沖縄を訪れ、第二次世界大戦の悲憤をのんだ戦没死者戦災没者の霊、その他の霊を弔い、更に戦後基地経済により経済的発展は来しているが、精神的支柱を失っている当時の人々に、その精神的より所としての仏の教えを与えたいと、琉球新報、沖縄タイムス、沖縄日報等の新聞記者会見も行い、記者たちも正しい仏教ゆえ積極的に協力すると共鳴し、また趣旨に賛同したと来られる知名な方もあり、戦前よりの生き残りの本薫寺所属の沖縄信徒と共に沖縄政府当間主席に一寺の建立を願い出たのである。

そして沖縄では初の許可を得ることが出来た。然し戦災で草木はすべて焼き尽くされ、土地は赤土の丸裸で、建築資材の木材には事欠く沖縄では、当地での建築資材の調達は全く不可能であった。それで当然考えられることは日本からの資材の輸送である。然し当時日本と沖縄との物資輸送は貿易協定による、貿易額のリンク制(アメリカ軍の軍政で年間の貿易の枠組みが決められていた)、そしてバーター制(貿易為替以外は認めないもの)で、日本沖縄いずれからも一方的に物資、資材を送りっぱなすということは出来なかった。社会党が労農会館の資材を送ったが、送り返されている。前例としては日本赤十字社が医薬品を送ったということ以外は無かった。

それで植田日因上人は日本政府にその趣意の陳情に及んだ。当時、日本から沖縄に寄付的行為することを認める日本の法的条例は何らなかった。然し上人のひたすらな熱意の陳情が日本政府を動かし日本最初の無為替許可を得、大蔵大臣主印、通産次官副印という公式文書の下付になった。それで早速その資材を鹿児島本薫寺より送付し建築することになった。

さて、実際にことを運ぶには種々難関があった。税関等は初めての事ゆえ取り扱いが分からず、通産大臣の主印でなければならないと言い張ったり、その処理に当たっては、一本一本の材木の検量をして難癖をつけ、本薫寺所属信徒宮大工の宇都政義氏がこれを一々削ったり細微にわたって訂正したりして、それに応じるという風で、その他の建築土地の選定購入、建築費の送付、建築大工の滞琉期間の限定等、現在では考えられないような種々の困難があり、それを何とか乗り切り、昭和三十三年三月に念願の仏立寺の一寺を建立、開堂をなさしめたのである。

住職としては、植田日因上人(代表役員名植田淳明)の弟子で沖縄アメリカ国籍のある新元典行師を初代住職とした。その後新元典行師は病を得、現在本寺本薫寺に帰寺し、植田日因上人(代表役員名植田淳明)が住職を兼任している。

 ◎宗名    本門仏立講    本門仏立講護法信衛連とも名乗る
 ◎本寺      本薫寺 鹿児島市原良町1795−3
 ◎宗祖    高祖日蓮大菩薩 本門八品流門祖日隆聖人 本門仏立講開導日扇上人(安政四年一月十二日本門仏立講を開講される)

 ◎沿革

そもそも法の流れを云うのに外相承と内相承という二筋の流れをいう。

外相承とは歴史的伝承である。

内相承とは内面的伝承である。

高祖日蓮大菩薩は、 『日蓮は何れの宗の元祖にも非ず』と仰せられ、教祖でもなく宗の人としての元 祖でもなく仏の教法の順法者としての立場を言われている。

日蓮上人を外相承歴史的伝承と観るとき法華経の伝わり方は印度の釈迦、中国の天台大師、日本の伝教大師、そして日蓮上人となる。

然し、内相承内面的伝承と観るとき法華経本門八品の段で久遠実成の釈迦如来(永遠の寿命の仏)のお姿をあらわされ、その久遠永遠の寿命を得たのも菩薩行としての尊い修行として得ることが出来たのだと仰せられ、久遠(永遠)の菩薩、上行菩薩という尊い菩薩を召し出されて仏のお悟りお魂を妙法蓮華経み声にこめられて授けられそれを広めて悪世の末法を救えとご命じになっておられる。その上行菩薩は、末法に出て必ず仏の教え通りその法を広めますとお誓いしておられる。その法は仏のお悟りでもあれば上行菩薩の菩薩行(一切を救う慈悲行)である。

その上行菩薩が高祖日蓮大菩薩であることは、日蓮上人の御書に明瞭に示されている。

それ故、日蓮上人を上行菩薩のお生まれ変わりと拝し、日蓮上人を人間日蓮と単に歴史的日蓮ととらえず、仏のお悟りを受けられ、その順法者上行日蓮と当宗当講は戴いてゆくのである。

上行日蓮というとらえ方は人間日蓮として偶像的にとらえるのでなく、日蓮上人のお魂、お心をそのまま戴いてゆくというゆき方である。ただ拝む対象とするだけでなく、そのお心を戴き、踏み行ってゆくということである。

それ故、単に人の宗団としての形式的に伝承してゆく継承ではない。純粋な法の継承、心の受け継ぎでなければならない。

高祖日蓮大菩薩がお隠れになり百二十年後、日蓮門派が乱れ権勢を誇る宗団化し、教えも地に落ちたのを元の高祖のお心に帰すべく、門祖日隆上人が、改革の狼煙をあげられ、その後五百年して日扇上人が仏教寺院日蓮諸派の精神的衰退を嘆かれ、仏の教えのもと、高祖日蓮大菩薩のおん魂、お心に帰すべく安政四年本門仏立講をたてられ、第2次世界大戦直後、本門仏立宗を名乗るようになったが、何れにしても清きの源流に帰す改革の宗派である。

★ところで、旧来は本寺本薫寺、当仏立寺も本門仏立宗に所属していたが、現代的風潮で本門仏立宗の宗教も行政中心になり、政治家たちの権勢派閥を競うようになり、信仰心のない僧侶たちが、全く先師のお心を見失い、教えはただ言葉のみで職業家し、講有総導師と宗会議員との紛争も惹起、 宗会議員は新たに講有総導師を立て、講有総導師が二人並び立ち宗内二分しての争い裁判さえ起こし ている現状である。

純粋信仰を求める本薫寺、その末寺沖縄仏立寺は、宗教法人本門仏立宗の包括関係からの離脱を試みた。

本薫寺は平成三年十一月二十二日、単位宗教法人『本薫寺』の認証を得。

       平成三年十二月六日、   法務局に登記完了。

仏立寺はそれまで本薫寺規則中、別院の項目に入っていたが、別に仏立寺として沖縄県知事に本門仏立宗の包括関係からの離脱のため、規則変更を申請

       平成四年二月十日、    規則変更認証を得

       平成四年二月十五日    登記完了

◎更に仏立寺建立当時の詳細は、本寺本薫寺ホームページの沖縄仏立寺建立当時の回想記を見られたし。