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○兼城集落

こちらも下地集落同様、戦後の開拓村として形成されました。昭和29年(1954年)の事です。政府計画移民として入植した方々の出身地は沖縄本島兼城村他、八重山(宮良)などです。入植当時の人口は166人でした。集落名は、沖縄本島兼城(カネグスク)村出身の方が多かったので「兼城(カネシロ)」と名づけられました。
VS

※西回伊原間線はこの後、「舟越」→「伊原間」と進行致します。「伊原間バス停(中学校前)で折り返して同じルートを戻り「川平」経由「バスターミナル」行きとなります。

※西回一周線は、「舟越」→「伊原間」と進行致します。「伊原間バス停(中学校前)」で折り返し東海岸線上を南下し「白保」経由「バスターミナル」となります。


栄(さかえ)  (西回伊原間線・西回一周線)

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兼城(かねしろ)  (西回伊原間線・西回一周線)
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伊原間に現存する獅子

宮城商店

※ 「バス停探訪」まだまだ続きます。「その19」以降はただいま製作中です。
  出来上がり次第更新致します。

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○大浦山(ホーラヤマ)
192bの大浦(ホーラ)山です。この山の中間辺りに丸い形の石が露出しているのが見えます。この石を「ティラ石」と呼びます。
元治元年(1864)、首里王府の命令によって八重山の風水を検分していた一人の風水師与儀通事親雲上・鄭良佐(テイ・リョウサ)が伊原間村(当時は舟越村)に立寄っていました。彼は大浦山の悪石が村に悪い「気」をもたらしているために、村は発展しないだろうと見立てました。対抗策として「村の一角に獅子を置きなさい」と指示を出しました。その獅子が悪い「気」を追い返すであろう、と言う事です。実際に伊原間の畑の一角に高さ1mほどのシーサーが据えられています。この獅子は伊原間で「赤口(アカフチ)」と呼んでおり、現在3代目の獅子だそうです。記録から数えて145年、獅子は今でも伊原間をティラ石の悪気から守っているのです。

バスは県道・石垣港伊原間線を北上、美しい東シナ海や平久保半島を眺めながら大浦山(ホーラヤマ)の近くを走行致します。
○栄集落

栄は昭和39年(1964)に、美野集落と越来(ゴエク)集落が合併して出来た村です。美野集落、越来集落ともに昭和29年に政府計画移民入植として形成された村でした。

西回伊原間線・西回一周線 編