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○米原(よねはら)

昭和27年(1952)、沖縄本島読谷村から政府計画移民として131人が入植して創建された集落です。
政府計画移民とは、戦後、沖縄本島各地で米軍によって多くの土地を強制接収された農家の保護救済措置、そして疎開先からの帰還や復員兵などで人口過剰となり食料が不足した地域から「八重山再開発」の名目で開拓事業の一環としての「開拓事業」という政策でした。ここ米原は、移民団の90%が読谷村出身で他には与那城村、名護町の出身者で構成されていました。
しかし入植者の受入態勢も整って無く、道路や桟橋も無いこの地で入植者の方々の厳しい村作りが一から始またっのです。悲しい事に入植の翌年、頼りになる団長がマラリアの第一の犠牲となりました。また干ばつや台風等に苦しめられながらも村を維持してきました。昭和28年(1953)、6月25日アメリカ民政府副長官オグデン少将らが米原を視察、視察後少将は一周道路建設費として八重山に100万円を寄付されました。その費用により川平〜富野間に道路が作られました。通称「オグデン道路」です。この道路の開通のお蔭で入植者達にも希望が出てきたことでしょう。現在、米原の人口は120名程です。入植当時、水稲や陸稲がよく実ったことから「米原」と名付けられました。

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米原(よねはら)  (西回伊原間線・西回一周線・米原キャンプ場線)

西回伊原間線・西回一周線・米原キャンプ場 編

昭和22年(1947年)、佐久田川(スクザーラカーラ)の東一帯にはイモ等の食料が残っていたようで、それを目当てに人々が移り住み、次第に集落が形成されて来ました。これが現在の富野集落です。集落は旧道沿いに作られましたが、その旧道は昭和28年に拡幅整備されオグデン道路と呼ばれるようになりました。集落名の由来は、戦後間もない頃に発足した政府の衛生部長をしていた大浜信賢氏によるものということです。現在の人口は約40名程です。

学校は「富野小中学校」があります。昭和27年に「川平小学校富野分校」が認可され、昭和28年には「川平中学校富野分校」が認可されました。その後昭和32年(1957年)4月には「富野小学校・富野中学校」は、それぞれ独立校となりました。

米原ヤシ林
荒川の滝
於茂登岳から落ちる清い流れが、小さな滝のように流れておりますのが荒川です。ここにはフスデ(大袖)村がありましたが、ある日荒川下流に住む大ウナギが現れて、村を襲い一夜のうちに村を全滅させたという伝説が残っています。
荒川  (西回伊原間線・西回一周線・米原キャンプ場線)

ヤシ林入口  (西回伊原間線・西回一周線・米原キャンプ場線)

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ヤエヤマヤシは石垣島と西表島だけに生育する一属一種のとても貴重なヤシです。高さは15〜20mに達します。このヤエヤマヤシは、古くは住民から「ノヤシ」とか「ビンロウ」等と呼ばれていました。植物研究家の瀬川弥太郎氏、村田弘之氏、ヤシ研究者の佐竹利彦氏らの調査によって新種であることがわかり「サキシマヤシ」と名づけられました。後に琉球政府文化財保護委員会委員の多和田氏と天野氏によって「ヤエヤマヤシ」と改訂されました。そして「サキシマヤシ」を研究していた鹿児島大学教授の初島教授は昭和38年(1963年)に「グルビア・リュウキュウエンシス・ハツシマ」という正式学名を付け世間に発表したのです。ところが、昭和44年(1969年)、ヤシ科植物研究家の権威、アメリカのコーネル大学のムーア博士は、それは「グルビア属」ではなくまったく新しい属であるとし「サタケンチア・リュウキュウエンシスH・E・MOORE」と命名し、初島博士の命名を改訂したのです。「サタケンチア」とは、ヤエヤマヤシの研究に情熱をかけた佐竹利彦氏にちなんだものです。ヤシ林の近くには「佐竹利彦記念館」が建てられています。
ここ米原のヤエヤマヤシ群落では、和名「ヤエヤマヤシ」が400〜500本自生していると言われ、ヤシの自生地としては大規模なものであり、「ヤエヤマヤシ」の群落はここでしか見ることの出来ない貴重なものです。

富野(とみの)  (西回伊原間線・西回一周線・米原キャンプ場線)


米原ヤシ林  (米原キャンプ場線)

○米原キャンプ場

営業期間 : 4/1〜12/28 ※ 冬場は閉鎖しています。
売   店 : キャンプ場横にあります。
トイレ    : (水洗×7 炊事棟×8 自販機・コインロッカー
シャワー  : 冷水:無料
料   金 : 1泊400円
詳しくは『石垣市公共施設管理公社』へお問合せ下さい。TEL 0980-88-5292
米原キャンプ場  米子焼工房
荒川の滝

また、ここ荒川はカンピザクラの自生地です。於茂登岳に水源を発する荒川上流の、石垣市有林のおよそ737万平方メートルの山林に点在しております。直径60センチにも達する老木が多く、その数は300本といわれております。花崗岩地帯のこの自生地は我が国唯一のもので、昭和47年(1972年)に国の天然記念物に指定されました。
寒緋桜は琉球列島と台湾だけにある植物で釣り鐘形をした花が咲く植物でございます。本土で桜と言うと、ソメイヨシノが有名です。桜前線といえば南から北上するのが普通ですが、沖縄の寒緋桜は逆で沖縄本島北部の山原から咲き始め、次第に南下していきます。有名な「ソメイヨシノ」の場合、風もないのに花びらがヒラヒラと散る風情に情緒がある、と言われますが「カンピザクラ」は中々花びらを散らさないのが特徴の一つです。最後は椿のように花ごとポトリと落ちていきます。
荒川滝側の駐車場には当時の文部省・沖縄県によるカンピザクラの説明版が設置されています。