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○ケーラ崎
バスはケーラ崎に差し掛かります。石垣と川平の間、20qの中間ほどの位地に当たります。このケーラ崎は、明応9年(1500)、「オヤケアカハチの乱」の時、川平村の英雄・仲間満慶は大浜村の英雄・オヤケアカハチからの反乱軍への協力を断った為に謀られ彼の仕掛けた落とし穴に落ち無念の死を遂げた古戦場です。地名の「ケーラ(元々はケール)」というのは、方言で「タタッ切る」という意味があります。この地には仲間満慶終焉の地の碑が子孫の憲章氏によって建てられています。

ケーラ崎の向いには「石垣焼窯元」があります。

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吉原線・西回伊原間線・西回一周線 編
この村はマラリアのため、大正3年(1914年)に廃村となりました。その後昭和15年(1940年)頃から人が住み始めました。そして昭和23年頃から宮古島を中心に、本土、台湾からの引揚者や郡内各地からの自由移民として人びとが集まり、人口が増加していきました。平成19年度の統計では人口140余名、戸数58戸となっています。
 昔、崎枝の役人が石垣の役所での御用を済ませ、お帰りになる姿を遠くから見ていた村の娘たちが賑やかに勢揃いし、松並木の入口まで「トゥマタマチ(十又松)節」を歌って迎えたということです。

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石垣やいま村 獅子森の郷

フーネ  (吉原線・西回伊原間線・西回一周線)

崎枝  (吉原線・西回伊原間線・西回一周線)

ガーデンパナ 与那覇商店
石垣やいま村のある高台に元名蔵があります。
200年ほど昔、石垣・登野城両村からの強制移住によって村が設立された時は、屈指の集落として繁栄していたようですが、明和の大津波という自然災害と、猛威を振るっていた悪性マラリア等により被害を受け、跡形もなく廃村となり長い間荒地と化していました。その後昭和23年(1948)には、廃村の跡地に沖縄本島、宮古島、台湾の人々が住み着き始め、イモ、陸稲、パインなどを生産。入植当時の戸数は18戸でありましたが、昭和32年(1957)には32戸と増加しました。
ところが次第に人口が減り、昭和63年(1988)には遂に7戸18名となりました。「風光明媚な所で、これから発展する。」と、この元名蔵の将来を信じている村民の願いが叶って、現在は新興住宅地として戸数もどんどん増えています。
またこの地は今から200年ほど昔、石垣・登野城両村からの強制移住によって村をおこし、悲劇の歌「名蔵節」と「マヤ・ユンタ」を生んだ地です。「マヤ・ユンタ」とは、役人の命令で首里王府から派遣された在藩の妾となった人妻が、夫や子供恋しさのあまり自分を猫に例えて歌った民謡です。「マヤ」とは猫を表す方言です。
石垣観光パイン農園 石垣焼窯元

※ 川平リゾート線はこのバス停は通りませんのでご注意下さい。

○石垣焼窯元
石垣焼窯元は1999年6月20日に石垣島にオープンした新しい窯元ですが、その作風は、30年余の歳月をかけて独自に開発され、本家よろん焼窯元の技法(鹿児島県与論島で元祖金子清美が1970年に油滴とガラスの融合を成功し、発足した)と450年の伝統を誇る一ノ瀬焼、並びに400年の伝統を誇る小石原焼の技法の流れを汲むものです。
石垣焼はよろん焼の手法をさらに発展させ、ガラスの色合いや模様をより自由に、そして油滴の出方を何種類もさらに美しく表現できるよう、改良を重ねた焼物です。
これらの様々な表現力の高さにより、美術工芸品としての評価が日々高くなっております。
(石垣焼窯元さんのHPより)

体験陶芸教室もあります。
営業時間:9:00〜18:00(年中無休)
問い合わせ:0980−88−8722
住所:石垣市名蔵1356−71
元名蔵(もとなぐら/ムトゥノーラ)  (吉原線・西回伊原間線・西回一周線)