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浦田原(うらたばる)  (吉原線・西回伊原間線・西回一周線)

○石垣島鍾乳洞

バス停より徒歩5分ほどです。以前は「竜宮城鍾乳洞」という名称でしたが平成14年(2002年)に「石垣島鍾乳洞」と改名されました。施設は「マリアイザー」として島の人には知られていましたが、昭和48年(1973年)に愛媛大学学術探検部の調査がなされました。その時の調査によると、この鍾乳洞は全長3,200bと発表されています。この距離は日本で第7位の長さとなります。見学道の長さは約600bで見学時間はゆっくり歩いて約30分ほどです。この鍾乳洞の特徴は鍾乳石の発達が早いと言う点です。3年で1mm.伸びます。また石筍の数は約70万本で日本一を誇ります。また、洞内では貝や珊瑚の化石、アンモナイトや三葉虫の化石等の観察も可能です。
問い合わせ TEL:0980−83−1550
営業時間 9:00〜18:00(受付時間) 18:30閉園
入場料金 大人1,050円 小人525円


八重守の塔  (吉原線・西回伊原間線・西回一周線)


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八重守の塔 バンナ公園南口
吉原線・西回伊原間線・西回一周線 編
仲松商店 石垣島製糖工場

○ 名蔵(なぐら/ノーラ)村

名蔵  (吉原線・西回伊原間線・西回一周線)

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お食事処一休 石垣島鍾乳洞  浦崎民芸陶器 

島尻商店
○八重守の塔

太平洋戦争で亡くなった670柱の英霊を慰める碑。昭和42年3月建立されました。また、昭和44年には、日露戦争から太平洋戦争に至るまで、八重山群島出身の戦没者・協力者・学徒隊の英霊1000余柱を合祀しました。

自然村入口 (吉原線・西回伊原間線・西回一周線)

名蔵は1647年の古文書に「那蔵村」として登場しています。中々村が繁栄しないので1686年に風水師の見立てによりスーンニ(潮嶺)へと移転しました。しかし、190年後の1876年に元の場所に戻って来ました。前の村があったスーンニを「元名蔵(ムトゥノーラ)」と呼ぶようになりました。明治12年(1879)に廃藩置県が行われると、人口の減った八重山の開拓が大きな課題となるのでした。そういった背景の下、明治24年(1891)に八重山開墾が県によって規定され、開墾が進められていくことになります。徳島県出身の「中川虎之助」が他人名義も併せて91町歩もありました。彼は60余名の本土人を引き連れ開墾を始めます。近代的な農業を行い、島人の注目を集めますが、マラリヤや台風等の災害、工場の焼失があり、中川虎之助は四国へ帰っていきました。入れ替わりに台湾から大勢の入植者が名蔵へやってきました。彼らは「水牛」を使い効率的な農業を開始します。石垣島民と様々な軋轢を生みますが、この水牛や持ち込んできたパインの苗が八重山開拓にとって大きな救いとなるのです。現在の名蔵村には「石垣島製糖工場」があります。昭和36年(1961年)9月に設立され、昭和42年(1967年)6月に八重山製糖鰍合併し現在に至ります。こちらでは、サトウキビを分蜜糖に仕上げ、本土へ出荷しています。バス停から製糖工場を見る事が出来ます