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平 野 線  編
平野集落
古くから牧場として使われていたこの土地に政府計画移民入植団がやって来たのは昭和32年(1957)のことです。入植団は沖縄本島北谷村、玉城市、コザ市(現・沖縄市)、豊見城村他、伊江島、久米島、南大東島、宮古島出身の方々でした。当時バスは明石までの運行となっており、道路が整備された昭和33年(1958)12月20日に路線が延長されました(伊原間〜平野間)。また石垣島一周平野経由便、観光バスが新路線として新設されました。昭和43年(1968)5月に石垣島全島電化によって終日点灯が実現されました。
バスはここで折返し上り便となり同じルートにて白保方面バスターミナル行きとなります。
○吉野集落

昭和31年(1956)に政府計画移民として、沖縄本島東風平村、那覇、糸満他、竹富島などから入植してきた方々により形成された集落です。入植当時の人口は108人でした。吉野移民は当初西表島古見へ入植したのですが、トラブルが多くこちらへ再入植したという経緯があります。しかし、その後干ばつや台風、海洋博ブームで吉野を去る人々が増え、土地も本土企業へ投売りする有様でした。人口は減り続け、平成18年には2世帯3名となってしまいました。琉球政府計画移民で定住に失敗したのはこの吉野だけです。

平久保

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※ターミナル発の平日は、「バスターミナル18:20発平野19:50着」便のみ、その日は、平野に「泊まり」となります。このバスは翌朝、平野7:30発伊原間行きの「平野経由伊原間線」となり、平野→伊原間(8:00発)→平野と運行し、平野8:40発バスターミナル行きとなります。土曜日、祝祭日の前日は「泊まり」は無く、その日の20:10に平野発バスターミナル行きとなります。よって、日曜・祝祭日は「平野経由伊原間線」は運休となり、平野からバスターミナル方面行きは、平野発13:10が最初の運行となります。
先島諸島火番盛


石垣島最北端の平久保崎に灯台があります。昭和40年(1965)に完成しました。ここからは美しい海の風景や牧場等が望める景勝地です。この平久保灯台の近くには火番盛(ひばんもり)として機能した「平久保遠見台」跡が残されています。火番盛とは、1644年、明・清の交代による国際的緊張や、琉球に進駐していた薩摩の要請などが設置の背景となったそうです。中国への進貢船や異国船がやって来た際、各島の火番盛で島伝いにのろしを上げ、番所や蔵元を通じ王府へ知らせたところです。この火番盛は宮古・八重山2市2町1村に18箇所あり「先島諸島火番盛」となっています。合図となる火や煙の数は、船の国籍によって本数が決められていました。
灯台の北に小島が見えますが、フージバナリ(大地離)と言います。

吉 野

平 野

路線バスの最北端のバス停に到着です。
県道206号線の終点は・・・・・行き止まりです。平久保半島は、西側には舗装道路が整備されていますが東側は小さな通路があるのみなのでバスで平久保半島を一周することが出来ません。
○平久保村(ペーブグムラ)

平久保半島は薩長検地の慶長16年(1610)当時、川平間切に属し、村名は「きやか村」が一村あるのみでした。平久保村は1500年頃には現在の平野集落付近にあったそうですが、風水師の見立てで「風水が悪い」と言われ、彼の指示により元禄15年(1702)に移転しました。さらに享保9年(1724)には、花城村と合併し「平久保村」となりました。
しかし、人口は減る一方で昭和20年(1945)には33人ほどになってしまいました。戦後、政府計画移民として宮古島、沖縄本島国頭地区、地元の方々が開拓団として入植しました。学校は昭和24年(1949)に白保小学校平久保分校が作られ、昭和28年(1953年)に白保中学校平久保分校が設置されました。その後、昭和32年(1957)に平久保小学校、平久保中学校とそれぞれ独立校となりましたが、昭和38年(1963)、中学校は伊原間中学校に統合されました。