ぺん遊ぺん楽



裏を見せ、表を見せて…


垣花 鷹志(かきのはな たかし)


<2007年04/06掲載>

 沖縄で暮らすには、悲しみに強くならなければならないとつくづく思う。一番の深い悲しみは、親しき者を彼(か)の岸に送り出す時の別れである。東京で暮らしていた時はそれも知らずに過ごすことができた。しかし、沖縄では新聞(「新報」「タイムス」)が紙面を大きく割いてそれを知らせてくれる。
 親しき者との別れに強くなるためには、死と向き合い、受け容れ、あの世との語らいをすることである。
 死出(しで)の旅について、私たちは、幾つか教えを持っている。キリスト教は復活を教える。仏教では「色即是空(しきそくぜくう)、空即是色(くうそくぜしき)」と言い、インドの人たちは輪廻転生(りんねてんしょう)を信じている。チベットの山奥では、死人を鳥につつかせる。これも輪廻転生の考えが底にある。沖縄の亀甲墓(きっこうばか)(カメヌクー)は女性が仰向けになった姿がモチーフになっている。人は生まれ出た所へ還(かえ)って行くという母体回帰の思想が底にある。侍たちは、「武士道とは死ぬことと見つけたり」と大見栄を切って自らの腹に刀を突き立てる。マルクス主義者たちは、人は死せば物質に還(かえ)るだけだと開き直る。
 あの世に渡る船は色々だが、死出(しで)の旅はたった一人で行かねばならない。それをどう迎えるか、仕立物(したてもの)の服のように、その人その人にぴったりした心構えが必要である。一人一人、その服を探し求めねばならない。
 私は、
  裏を見せ 表を見せて 散る紅葉(もみじ)
という良寛の句が好きである。この句には、木(こ)の葉(は)が春には萌(も)え出で、秋は色づき、冬来(きた)れば枯れて幹を離れる、そのように、人の死を自然の理として素直に受け容れているところがある。一方で、生ある者の儚(はかな)さ、この世と別れることへの寂しさが漂(ただよ)っている。この歌の底には釈迦の教えと通じているものがある。
 私は、釈迦が別れの時に残したことばが好きである。
 釈迦が死の床にあった時、愛弟子(まなでし)のアーナンダが泣き縋(すが)って言う。
アーナンダ
「尊師(そんし)よ、尊師が亡くなったら私はどうして生きていったらいいでしょう」
釈迦
「アーナンダよ、この世の全ては変化して行く。自らを燈明(ともしび)とし(自燈明)(じとうみょう)、法(真理)を燈明(ともしび)(法燈明)(ほうとうみょう)として生きていきなさい」
 私は、死後の世界のことについて無理して語ろうとしない、釈迦のこの正直さ、静けさ、優しさが好きである。
 しかし、このような釈迦のことばにも落ち着かない私がいるのも事実である。
 生者必滅(じょうじゃひつめつ)、会者常離(えじゃじょうり)。その通りである。しかし、私は、亡くなった、母にも会いたい。この世の旅路の節々で汗を払いあい、風を送って慰め、励まし合った友々(ともども)ともまた会いたいと願うのも事実である。
 何日か前、妻と散歩していた。道の脇に、大きな切り株が鉢植え台代わりに置いてあった。見るともなく見ていると、根元の方に小さな緑が芽吹いているのが目についた。

(宮古ペンクラブ会員・琉球大学非常勤講師)

                             
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