ぺん遊ぺん楽



映画「ダーウィンの悪夢」を観て


下地 昭五郎(しもじ しょうごろう)


<2007年03/30掲載>

 久しぶりに洋画を観た。タイトルは「ダーウィンの悪夢」だ。『ダーウィンの悪夢』とは、1954年アルバート湖(ウガンダ)から、大食で肉食の外来魚「ナイルパーチ」がバケツ一杯ヴィクトリア湖に放たれ、在来種を駆逐(くちく)することによってもたらされた、ヴィクトリア湖岸の惨劇を活写したドキュメンタリー映画である。
 銀幕にはヴィクトリア湖が写し出され、湖面に飛行機のシルエットが浮かぶショットが暫く続く。湖岸の荒廃した村のムワンザ空港の周辺には飛行機の残骸が見える。スクリーンにはしばしば飛行機が登場するが、その理由を探るのは一種のサスペンスだ。
 映画は実在する人物へインタビューする手法で展開し、徹底した『リアリズム』を『意識』させる。例えばこんな具合にだ。「こんな生活を続けるしかないのよ」と嘆くパイロットたち相手の売春婦エリザ、「軍隊の給料はいい。戦争さえあれば軍隊に入れるのに」とうそぶく漁業研究所のラファエル、「お腹がすいた。食べ物を独り占めするな」と殴り合うストリートチルドレン。「世界中の子どもたちの幸福を望むが、…」と失意のセルゲイ、「ナイルパーチが大金をもたらした」と皮肉るディモン、「現代は天然資源を奪い合い、強い者だけが生き残る。一番強いヨーロッパ人だけが世界経済を牛耳っている」と嘆くムコノ(元教員、漁業キャンプのリーダー)、「身を取った後の魚の頭は地元民が食べ、切り身部分はヨーロッパや日本へ輸出される」というナイルパーチのあら捨て場の男、「飛行機から大量の武器が見つかった。行き先はアンゴラだ」と証言する町で唯一の画家ジョナサン、「ヨーロッパはアフリカの死で利益を得ている。武器密輸の流れを阻止し、アフリカを襲う病を未然に防ぐべきだ」と訴えるジャーナリストのリチャード・ムカンバ、そして最後に、「コンドームは勧めません。神に従えば、コンドーム使用は罪だからです」と虚ろな目で答える牧師のカイジャゲ。映像は売春、エイズ、ストリートチルドレンなどと貧困にあえぐ人々の顔が写し出される。こうしたミクロの視点は実は後半で暴く恊慄の真実揩ヨの伏線である。終盤に飛び出すジャーナリストらの決定的な証言が、いっそう観る者に衝撃をあたえる。ムワンザ空港は実はアフリカにおける武器密売の中継地点になっているのだ。飛行機が再三挿入されるのは実はそのためである。
 この映画はヴィクトリア湖の生態系を一変させたナイルパーチ問題を描くと思わせ、アフリカを危機に陥れるグローバリゼーションの闇が活写され、富める者の犠牲となる弱者の凄惨な貧困の実態に観る者は生唾を飲むほどの衝撃を覚える。
 「生命にとって最も大きな危険は『無知』だと思う。私はこの映画で『グローバリゼーション』という状況の中での愚かさの仮面をはぐ、ということを試みたが、単なる魚についての映画ではなく、あくまでも人間についての映画だ。ナイルパーチによって経済が発展し、工場ができて、雇用が生まれるのはすばらしい。しかし、経済のグローバリゼーションの中で光と影が存在する。影はなかなか見えない。その見えない部分を活写するのが大切。ボイコットしなければならないのは『武器密売』という『愚かな行為』である」とは監督・ザウバーの悲痛な叫びである。
 私はグローバリゼーションの惹起(じゃっき)する不条理な現実に身震いしながら映画館を後にした。この問題は、実はわれわれの足元にも忍び寄っている。市場原理主義や規制緩和などの導入による経済格差の二極化などグローバル化の『影』の部分への鈍感を忌避(きひ)したい。

 (宮古ペンクラブ会員)

                             
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