ぺん遊ぺん楽


つれづれなるままに D


伊良部 喜代子(いらぶ きよこ)


<2007年03/22掲載>

 「春の雪」
 三月十二日の東北地方は強風と大雪で、大荒れの一日となった。所によっては通勤通学の電車がストップしたり、車のスリップ事故が、あちこちで起きたりした。私の住む仙台の住宅地入口では、凍結した長い坂道を登りきれない車が、列をなして立ち往生していた。
 この冬は異常な程の暖冬で、雪かきに四苦八苦することも、雪による事故もほとんどなかったと安堵していたら、何を思ったか冬将軍がいきなり戻ってきたようだ。しかし例年ならば東北地方の三月上旬はまだまだ雪の季節である。この冬を存分に降ることのできなかった雪の精霊たちが、別れを惜しんで最後の雪を降らせているのだろう。外出をあきらめ、窓ぎわに座して降りしきる雪をしばし眺めた。
 雪は強い風にあおられてしばし空中に漂い、それから舞うように落ちてゆく。庭木の枝々にもずっしりと雪がつもり、十センチ程のびていた水仙やチューリップの芽も、すっかり雪に埋もれている。見渡す限りの雪景色。だが、三月の雪は長くは残れない。天気が回復して春の陽ざしが降りそそげば、たちまち消えてしまうはかなさだ。それを思うと、厄介な雪もまたいとおしく思えてくる。あとひと月余りもすれば、仙台は花の季節を迎える。

 「旅立ち」
 旅立ちと別れの季節。今年も高校を卒業した若者たちが大勢、宮古を離れて沖縄本島や本土に旅立つことだろう。三十八年前に私もそのようにして宮古島を離れた。夕ぐれの平良港から那覇行きの船に乗って。見送る家族も、見送られる私も、たっぷり涙を流して泣きながら別れたのだった。特に祖母は、東京に行ってしまう私にすがりつき、「オバーはもう二度と会えないかも知れない」と言って泣いた。汽笛を鳴らして船が岸壁を離れると、船上の人たちと見送りの人たちとの間をつないでいた色とりどりのテープが切れ、ひらひらと風に吹かれながら、波間にのまれていった。その情景を今もありありと思い出す。
 今は別れの風景にも悲壮感などほとんどみられない。どこへ行こうとケイタイでいつでも声が聞け、メールでたちどころに写真も送ることができる。格安航空券を利用して、ごく簡単に行き来ができ、宮古を飛び立って三時間足らずで、東京に着く時代である。船にゆられゆられて、那覇港から六十時間近くかけて、船酔いでふらふらになりながらようやく東京の港に着いたことを思うと、まさに隔世の感である。
 私の中では、つい昨日のことのようにも思えるのだが、平良港でのあの旅立ちの日から、信じられない程の歳月が流れた。そして私はまだ、人生の旅の途上にいる。「はるか遠く来つるものかな」と、感慨にふけっている暇は私にはまだない。若い時に成し得なかった夢に向かって、五十六歳の私も、四月に新たなスタートを切るつもりだ。
 仕事に就くために旅立つ人にも、進学のために旅立つ人にも、たくさんの幸いが降りそそぎますよう、祈るのみである。

(宮古ペンクラブ会員・歌人)

                             
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