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島尻」の語源

石垣 義夫(いしがき・よしお)


<2006年06/14掲載>

宮古島市の平良に島尻という集落がある。島尻とは、島の尻となって、必ずしも、いい意味とはいえない。
 沖縄に国頭、中頭、島尻、宮古、八重山と五つの郡がある。
 沖縄本島の南にあるのが島尻郡。なぜ、島尻郡と呼ばれるようになったのか。
 島尻の語源について一九三七(昭和十二)年に、島尻郡教育部会が発行した「島尻郡誌」からの引用として沖縄南部連合文化協会の「なんぶ文芸」第三号、創立十周年記念特集号に紹介されている。
 それによると「島尻」とは当て字であって、その文字どおりの意味ではない。しかし、その文字の意味と地理上の位置とが偶然に一致し、しかも、国頭、中頭の名称と釣り合っていることから、今では島の尻っぽという意味に解釈されている。
 こういうのは一種の民間語源説というもので当てになる説ではない―と、いささか弁解がましく触れている。
 そして島尻の本来の意味として、しまじりには浦添へのオソヘ(これは浦を支配)の様に、また、島添へのオソヘ(のごとく島を知る)即ち、国を治める所という意味が包含されている―としている。
 宮古島市の島尻にも似たような解釈がある。島尻の名称も当て字であることは間違いないだろう。
 しかし、平良市史の第二巻・通史編U(戦後編)に島尻の紹介があり「雍正旧記」によれば島尻は蔵元から二里の村はずれにありとなっていて島尻郡の解釈に似ている。
 さらに、宮古島市の島尻でもスマズのズは頭のことであり島の頭、または発祥の地であるとの解釈がなされている。
 渡来人は渡って来て、いきなり島の中央には行かず、宮古では大神島とか来間島といった離れ島に足跡を築いて中央にはいって行くとされている。海岸線に元島と呼ばれる地名が点在しているのは、そうした渡来の足跡と見ることができる。
 大神島、あるいは島尻の地形、海流からして渡来人たちが最初の足跡を残した場所としての島のズ(頭)あるいは発祥の地として考えられないことはない。
 現に狩俣の古代人が最初に到着したのは島尻海岸であったが水が少ないため狩俣に移動し崖の上にある「大森」を永住の地と定めたとある。
 沖縄に島尻の地名が島尻郡、久米島、伊平屋、宮古島市に四カ所ある。
 確かに地形から、そのいずれも政治、文化、経済の中心とはいえない。
 しかし、それは後になって形成された現在の姿である。
 「島尻郡誌」は、しまじりには浦添の浦を支配し国を治めるとの意味が包含されているとしており「島尻」の語源には何らかの共通する意味があったのかも知れない。

 (宮古ペンクラブ会員・団体役員)

 

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